2019年2月23日土曜日

シーボルト事件の新史料

稲部市五郎の検視記録

なにげなくフェイスブックの投稿記事を眺めていたところ、西日本新聞の記事が目にとまりました。
すぐに西日本新聞にアクセスして、記事を読んだところ、七日市藩の牢獄で病死したとされる稲部市五郎の検視記録が発見されたという内容でした。
稲部市五郎については、こちら(↓)をご参考までに。

稲部市五郎種昌   漢文を基礎から学ぶ講座

富岡市七日市の金剛院には、稲部市五郎の墓があります。
稲部市五郎は、牢獄にいながら医学の知識を多くの人々に教え、人柄もよかったのかもしれませんが、七日市藩の人々が市五郎をこの地に埋葬し、墓を立てたと伝わっています。
牢獄があった場所に立つ石碑は、市五郎の功績をたたえて、のちに医学界の人々が立てたものです。
西日本新聞のHPには、検視記録の表紙と検視した場所の見取り図が紹介されています。
表紙には、
天保十一子年
阿蘭陀小通詞末席稲部市五郎
病死(小さいニがあるかも)付死骸御検分取扱?
九月      石井?右衛門
 と書かれています。
たいへん貴重な史料が発見されたと思います。
長崎学研究所において、3月発行の研究紀要で発表されるとのことですが、こういった史料の発見によって、当時の七日市藩の対応などもわかってくることでしょう。
いずれ近いうち富岡市において、この新史料発見に関する講演会をはじめ、史料の展示などを実現していただきたいものだと思っています。
 ※ 記事の全文は、
西日本新聞のHPでお読みください。

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