2014年11月11日火曜日

下仁田ねぎ・下仁田こんにゃく

おいしい季節がやってきます

これから寒くなってきますと、下仁田ねぎが一段とおいしくなってきます。
撮影:2014.11.11
馬山丘陵のねぎ畑です。
遠くに見える山は、四ツ又山・鹿岳などです。
馬山丘陵から眺める下仁田の山々は、とても美しく、馬山丘陵は私が大好きな場所のひとつです。
撮影:2014.11.11
馬山丘陵では、こんにゃくいもの掘り取りが始まりました。
これから農家の方々は、こんにゃくいもの掘り取りをはじめ、ねぎの掘り取りなどで、とても忙しい毎日を送ることになります。
撮影:2014.11.11
道の駅しもにたでは、下仁田ねぎの販売が始まっています。
撮影:2014.11.11
これからの時季には、たいへん見慣れた下仁田ねぎの販売風景ですが、私には奇異に感じるものがあります。
それは、上の画像の中央にある葉鞘部が白い下仁田ねぎが散見されることです。
深谷ねぎなどは、どろなどを落として、まっ白にした姿で出荷されていますが、下仁田ねぎは、どろ付きであるとこが基本であると思っている私には、まっ白な姿にされて、販売されている下仁田ねぎを見ますと、とても悲しい気持ちになるのです。
たしかに、いまの消費者の方々の多くは、どろ付きの野菜を敬遠されるかもしれませんが、どろ付きの下仁田ねぎこそ、先人の知恵がつまった姿であり、どろ付きには、保存のための合理的な理由があることをアピールすれば、きっと多くの消費者が理解してくれるのではないかと思うのです。
2014.6.22付けの上毛新聞で、南牧村の「蒟蒻平八」と呼ばれた茂木平八氏、下仁田ねぎの品種改良に功績があった松浦源一郎氏を紹介させていただき、先人の知恵と熱意を学ぼうと提案させていただきました。
いま、道の駅しもにたで販売されているまっ白な姿の下仁田ねぎについて、消費者のもとめに応じたものとして、これからも継続していくのか、それとも先人が保存しておくために、どろ付きで出荷してきた伝統を維持するのか、下仁田町で下仁田ねぎを栽培し出荷されている皆さんが、これから先のことをよくお考えになったほうがよいのではないか・・・と、私は思っています。
下仁田における下仁田ねぎ・下仁田こんにゃくは、それらを栽培してきた方々をはじめ、加工や流通に携わった方々など、すべての先人の知恵と熱意の賜物なのですが、下仁田で開催される全国ねぎサミットにおいて、そうした方々への顕彰などがないことは、とても悲しいことだと私は思っています。

先日、ある方が「下仁田は、地元の文化を大事にしないところだ」 とおっしゃったことがありました。
その方からは、いろいろなことをお聞きしたのですが、これ以上のことを紹介いたしませんが、私は、地元の文化を大事にするというのは、先人への感謝につながることであると理解しています。

たとえば、まっ白な姿の下仁田ねぎをどうするのか・・・

地元の文化、歴史をふまえて、下仁田ならではのスタイルを確立することが、これからの時代において、生き残りに有効な手立てではないかと思っています。
なぜなら、いまは下仁田以外の地で、下仁田ねぎが大量に栽培され、それらが下仁田ねぎとして、大量に市場に出回っている現状を踏まえるとき、下仁田以外の地には、下仁田ねぎの栽培に心血を注いできた歴史がない(といえば失礼だとすれば、歴史が浅いとしておきましょう)のです。

先人が築きあげてきた歴史(伝統といってもよいでしょう)をふまえて、下仁田ならではのスタイルを確立しなければ、下仁田における下仁田ねぎ、そのブランド力は、簡単に消え去ってしまうことでしょう。
これからも
  下仁田の下仁田ねぎこそ、ほんとうの下仁田ねぎだ 
と多くの方々に評価していただく地であってほしいと、私は思っています。

そのためには、
   下仁田の文化と歴史を大事にしていただきたいと、そして、
     先人への感謝を忘れないで・・・と、
たいへん生意気ですが、そのようにも思っています。
撮影:2013.12.3
もうすこしすれば、道の駅しもにたなどで、贈答用の箱詰めの販売が始まります。

見て楽しい・歩いて楽しい・食べて、飲んでおいしい
日本ジオパークの町・下仁田に

お出かけください!

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