ジオパークの〝今昔物語〟
2016.7.15(金)上毛新聞に、
山陰海岸ジオパーク、兵庫・但馬御火浦
を紹介する記事が掲載されていました。
ジオパークという言葉がマスコミや行政関係の資料に多く登場するようになった2000年代の 半ばごろ、
ネットで「ジオパーク」
を検索すると、たくさんヒットするのは、
NHKの「スタジオパーク」
でした。
いまから10年ほど前は、
まだまだジオパークという言葉が
社会に広まっていなかった
ということであったのでしょう。
つぎの文章は、ウィキペディアから引用させていただきました。
ジオパークの活動はヨーロッパで始まり、2000年にヨーロッパジオパークネットワークが組織された。
その後、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)の支援により、2004年に世界ジオパークネットワーク(英語版)(GGN)が発足した。
2015年11月17日には、世界ジオパークが国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)の正式事業として認定された。
世界ジオパークは、ヨーロッパや中国を中心に各地に分布しており、日本にも8地域ある。
南極大陸や南アジア、西アジア、中央アジア、オセアニアにはない(加盟取り消しとなった例もある)。
なお、アジア太平洋地域のジオパークとそれを目指す地域により、2004年にアジア太平洋ジオパークネットワーク(APGN)も組織されている。
日本では、2008年に国内の認定機関として産業技術総合研究所地質調査総合センターにより、日本ジオパーク委員会(JGC)がつくられた。
JGCが2008年に認定した地域により、2009年に日本ジオパークネットワーク(JGN)が設立された。
いまや、群馬県の上毛新聞に山陰海岸ジオパークが紹介されたり、NHKの人気番組「ブラタモリ」で、日本各地のジオパークが放送されるようになりました。
NHKの「ブラタモリ」では、日本各地のジオパークをはじめ、タモリさんを地形好きにした原点である沼田の河岸段丘も登場しています。
ネットでジオパークを検索し、NHKの「スタジオパーク」関係の情報がヒットして、それがずらっと並んで出てきたころを思い出すとき、たかだか10年ほどのわずかな時間しか経ていなのですが、ジオパークをめぐって、社会に大きな変化が起きていることを実感します。
いまは、ネットでジオパークを検索すれば、さまざまなジオパーク関係の情報を得ることができます。
ちょっと大げさにいえば、まさに隔世の感あり、といったところです。
ここ10年ほどでの変化は、ジオパーク的視点で地形や地質、人々の暮らしなどを見つめなおすといった活動が、いまの日本において、多くの人々に支持されているといったことの証といってよいと思うのです。
しかし、このような変化があるとはいえ、これから先、日本ジオパーク・世界ジオパークになっている地域それぞれのがんばりいかんによっては、この変化がさらによい方向へ発展していくこともあれば、しぼんでいってしまうといった事態になることも考えられるのではないでしょうか。
ジオパークに対する社会の関心の高まりは、個々のジオパークのがんばりや品質などが厳しく評価されるということでもあります。
がんばっているジオパークには、多くの人々が出かけるでしょうが、がんばっていないジオパークでは、閑古鳥が鳴きっぱなしとなって、早晩ジオパークでなくなってしまう、そんなことにもなりかねないと思うのです。
これからの日本国内のジオパークは、品質による篩い分けが行われ、より高品質のジオパークは残りますが、そうでないジオパークは淘汰されるのではないかと私は思っています。
今年の夏休みは、日本各地のジオパークめぐりをしてみる、というのも楽しいのではないかと・・・
ジオパーク関係の情報は、日本ジオパークネットワークへ
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