2013年9月8日日曜日

南牧村-青木石材店

椚石(くぬぎいし)の捕獲岩

2013.9.7(土)の午前、椚石に含まれる捕獲岩の調査で、甘楽郡南牧村大字磐戸の青木石材店におじゃまさせていただきました。
左:青木石材店の青木清二さん
          後ろ向き:下仁田自然学校運営委員の中島啓治さん
                           右:荒船風穴・ジオ応援団員の岩井実さん

   ※ 青木石材店に関しては、青木石材店のホームページをご覧ください。
            http://www.nanmoku.biz/~aokisekizaiten/
      青木石材店のアイデア商品については、
             南牧村のオアシスなんもくでお買い求めいただけます。

捕獲岩(xenolith)とは
 「火成岩中に含まれる別種の岩石片。
 これには母岩と成因的に同源の岩片である場合(オートリスまたは同源捕獲岩)と
 成因的に関係のない岩片の場合(外来岩片または外来捕獲岩)とがある。
 狭義の捕獲岩は後者の意(地学事典・平凡社)」
と説明されているものです。

椚石に含まれている捕獲岩のいくつかを紹介しましょう。
母岩は、火成岩である安山岩が変質を受けたものです。
さまざまな捕獲岩が含まれています。
上の画像の左右と下に見えるのが母岩になります。
下の画像の↓の色が灰色に見える部分が捕獲岩です。
捕獲岩は、地下からマグマが上ってくるとき、一緒に運ばれてきたもので、捕獲岩を調べることによって、いろいろなことがわかってきます。

今後、下仁田自然学校運営委員の中島啓治さんによって、薄片づくり、顕微鏡での確認作業等が行われ、椚石に含まれている捕獲岩のことが明らかにされます。

青木石材店の石切り場の前にある山の神の碑と石工代々の碑です。
作業の安全祈願とともに、椚石一筋に生きてきたご先祖様を敬う青木清二さんの思いがこもった碑です。
     【お願い】
 青木石材店の石切り場、作業場には、無断で立ち入らないでください。
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下仁田自然学校では、多くの方々のご協力を得て、
下仁田地域の地質に関する〝なぜだろう・・・?〟を
解き明かすための活動を行っております。 
下仁田自然学校で、ともに活動しませんか。
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2013年9月4日水曜日

季節の花-サボテン

大きなサボテン【富岡市神成(かんなり)】

まずは、この写真をご覧ください。
神成山登山口にあるお宅の庭先のサボテン(→)です。

このサボテンですが・・・
こんなにも大きいのです。

神成山に登るときなど、何度かこの大きなサボテンを見させていただいているのですが、花が咲いているときに見させていただくのは、初めてのことであり、たいへん感激してしまいました。

ここまで大きく生長させることは、たいへんなことであったと思いますし、大きく育てたサボテンを守ることは、もっとたいへんなことだと思うのです。

  神成山(かんなりやま)については、このブログの
       http://geogunma.blogspot.jp/2013/04/blog-post_11.html
  下仁田ジオ豆知識  下仁田構造帯について  (その4) をご覧ください。

神成山は、たいへんきれいなハイキングコースでも有名です。
これから秋になってきますと、紅葉も楽しめます。
神成山を歩かれるときは、ぜひ大きなサボテンをご覧になってください。

この大きなサボテンの〝子ども〟かもしれませんが、この神成地区では、何か所かで大きなサボテンを見ることができます。
支柱に支えられ、生長しています。
こちらは、建物の壁を利用して生長しています。 
これは、建物のところで咲いていたサボテンの花です。
とても美しいですね。

つぎの画像は、このサボテンがある神成地区で撮影したものです。
神成山の岩肌をバックに並ぶ七福神の石像です。

このほか、神成地区には、「石坪(いしつぼ)の池」という水がわきだしている池もあります。
この池には、ハスが植えられていて、花が咲くころには、たいへん美しい池になります。

※ この画像は、きのうの朝に撮影しました。サボテンの花は、一般的に開花時期が短いといわれていますが、まだこの先も見られるかもしれません。
 どうぞ、富岡市神成の大きなサボテンの花を見にお出かけください。

2013年9月3日火曜日

まちづくり-となりのトトロ

「となりのトトロ」に描かれた
やさしさ・地域のつながり

いま、たびたび痛ましい事件や、とても切なくなってしまうようなが起きていますが、そんなニュースに接したとき、どうしてこんなことになってしまったのかな・・・と、私は悲しい気持ちになります。

小さな子どもやお年寄りが被害にあわれたニュースなどが報じられますと、とても暗い気持ちになってしまいます。

そんなとき、「となりのトトロ」の曲を聴き、サツキちゃん、メイちゃん、トトロや猫バス、里山、田植えなどの農作業、鎮守の杜をはじめ、そこで暮らしている人々の姿などを見ていますと、なぜだかふさいでいた心が明るくなるというか・・・気持ちが明るくなってくるのです。

私が子どものころも、いろいろな事件があり、多くの人々が悲しくなるできごとがなかったわけではありません。

しかし、「となりのトトロ」で描かれている時代が懐かしく感じられるのです。
ノスタルジー、郷愁ということかもしれませんが、「となりのトトロ」で描かれている風景などは、私が子どものときとまったく同じなのです。

宮崎駿監督の作品は、すべての作品が好きですが、私のお気に入りは、なんといっても「となりのトトロ」です。
それは、サツキちゃん、メイちゃんのかわいらしさ、トトロや猫バスなどの活躍もさることながら、「となりのトトロ」で描かれている里山、田植えなどの農作業、鎮守の杜をはじめ、そこで暮らしている人々の姿が、私の小さかったときとまったく同じだからかもしれません。
これは、私が好きな場面のひとつです。

急に雨が降ってきて、地蔵様のところで雨宿りをしているサツキちゃんとメイちゃんに、勘太(カンタ)くんが傘を差しだしている場面です。
「となりのトトロ」をご覧になっている方は、これまでの勘太くんの行動-素直にやさしさを表現することができない-をご存知だと思いますが、破れて穴があいている傘をサツキちゃんとメイちゃんに差し出すことによって、勘太くんがすこしずつ素直にやさしさを表現できる少年に変化していきます。

このあと、サツキちゃんとメイちゃんが勘太くんの家に傘を返しに出向きます。
照れて、サツキちゃんに傘を貸したと母親に言えなかった勘太くんのかわいいい少年らしさ、竹ひごの模型飛行機を持って、部屋のなかを飛び回る姿が描かれますが、それは、これからサツキちゃんに対して、素直に接していける、そう思った少年の喜びがあふれている場面なのです。

破れた傘、当て布のある半ズボン・・・豊かな生活ではありませんでしたが、困っているサツキちゃんとメイちゃんのために、傘を差しだし、自らは雨のなかを走って帰る勘太くんの姿は、あの当時の多くの少年の姿であり、「となりのトトロ」で描かれている時代には、珍しいことではなかったと思うのです。

つぎに、私が好きな場面は、メイちゃんを探す溜池での場面です。
この捜索の場面には、パトカーも消防車も警察官・消防官も登場していないのです。

いまの時代であれば、小さな女の子がいなくなった、といった〝事件〟が発生すれば、すぐに住民が110番に通報して、たくさんの警察官-鑑識や警察犬をはじめ、場合によっては、ヘリも・・・-が捜索に動員されて、この溜池のまわりを立ち入り禁止にして、大がかりな捜索を展開することでしょう。

私が子どものとき、山火事が発生したのですが、誰が指揮するでもなく、おとなは手に手にスコップやのこぎり、斧などを持って、山火事の現場に走って行きました。

私が子どものころは、どこの家にも電話がある、といった状況でなく、消防署の望楼で見張っている署員が煙を発見して、消防車を出動させるといった時代でした。
このような状況でしたので、初期消火は地元の人々と地元の消防団員が行わざるを得なかったという実情もあったのですが、実に手際がよいおとなの行動をいまでもよく覚えています。

となりのトトロでも、サツキちゃんが勘太くんに案内され、電話を借りに出向く場面がありますが、私が子どものころは、そんな状況でした。

ですから、警察署や消防署に通報することよりも、

 子どもがいなくなったときは、とにかく早くに見つける、
 なにごとをおいても駆けつけて、早くに火を消す、

といったことが、なによりも大事なこととされていました。

いまは、痛ましい事件があとを絶ちませんので、まず事件性のこと-手がかり・証拠の保全-を考えて、
 捜索のためとはいえ、住民が溜池をさらう、といったことなどをしてくれるな、
という警察署や消防署からの〝お願い〟があるのかもしれません。

いま、全国各地で、まちづくりが模索されていますが、私たちが暮らすうえで、

 いちばん必要なものは、なんだろうか・・・

と考えたとき、

 自分は濡れてもよい。このふたりのために、役立ちたい、と思い傘を差しだす〝やさしさ〟

であり、

確かに、いまの時代は、なにかあれば、それは事件ではないか、ということを想定することも必要であり、住民が勝手に捜索しないほうがよい、という時代になっているのでしょうが、こうした捜索のことは別のことだとしても、

 自分たちの地域のできごとに対して、
 自分たちでできることは、がんばってやってみよう、
 皆で支え合って生きよう、
 そんな気持ちを共有すること

ではないかと思うのです。

つぎの場面も好きな場面のひとつです。
勘太くんがサツキちゃんに「溜池で靴が見つかった。でも、メイちゃんのものかどうかわからない」ということを〝三角乗り〟の自転車で急報する場面です。

勘太くんがサツキちゃんとメイちゃんのために大奮闘する場面です。

「となりのトトロ」は、勘太くんのやさしさをはじめ、勘太くんがやさしさを表現する能力を学びながら成長する物語でもあるのです。

宮崎駿監督が引退される、とのニュースが報じられていますが、〝宮崎アニメ〟のファンとして、とてもさびしく思っています。

おそらく、これから先どのような時代になろうとも、

 やさしさ、
 地域のつながり、
 このふたつは、私たちの暮らしを支えるもっとも基本的なものとして、ずっと受け継がれていかなければならないもの

ではないか、と私は思っています。

 
  やさしさ、
 地域のつながり、
が基調になって、いろいろなまちづくり事業、プログラムが実施されれば、
大きな成果をあげるまちづくりとなるのではないでしょうか。

※ 最後にどうでもよいことを・・・
 
  勘太くんの〝三角乗り〟ですが、かつて勘太くんと同じ〝三角乗り〟をした私の経験からは、両手でハンドルを持っていては、自転車に乗っていられないのではないか・・・と思います。
  私は、右手でサドルを抱え込み、その右手で自分のからだを自転車に〝固定〟していました。

2013年8月31日土曜日

まちづくり

やさしい気配り、思いやり

私は、かつて産業廃棄物処理対策、不法投棄対策などの業務を担当したことがあり、そのとき廃棄物の処理から見た日本、日本人の意識を研究しようと、仲間を募って自主研究グループをつくり、「廃棄物の文化史」といった論文を書きました。

廃棄物をどのように処理するのかは、昔から大きな問題であり、古くは「古事記」にはじまり、いろいろな文献に廃棄物処理に関することが登場します。

私たちは、日々の生活や事業活動によって、多くの廃棄物を発生させています。

私は、「廃棄物の文化史」を書くにあたって、県内各地のゴミステーション(廃棄物の集積場所)を見たのですが、ここがきちんとしている市町村、地域は、その市町村や地域全体がきちんとしていることに気づきました。

道路に面した生垣は、きちんと刈り込まれ、歩道と宅地の境などに雑草が伸びていたりせず、とても歩きやすい空間、心地よい空間の歩道になっているのです。

通学する子どもたちの元気な明るい声の「おはようございます!」も聞こえ、お年寄りが手を振って子どもたちを見送っている朝の風景は、とてもすがすがしい気分になります。

このことを〝発見〟した私は、
 ゴミステーションは地域の意識-やさしい気配り、思いやり-を現している、
と考えるようになりました。

  【私のチェックポイント】
① 道路(歩道や車道)にゴミ袋がはみ出していないか。
② ゴミ袋からこぼれ出ていないか。
③ 収集品目以外のものが持ち込まれていないか。きちんと分別されているか。
④ カラスなどへの対策(ネットがけ)をしているか。
⑤ 収集車が収集していったあと、地区の方々が周囲を含めて清掃しているか。

この5項目がクリアできている地区は、前記のとおり、地区全体に温かみがあって、とてもすばらしい雰囲気になっていますが、
 道路にゴミ袋がはみ出していたり、
 カラスがつついたのか、ゴミが袋から出て、異臭もしたり・・・
 収集品目以外の物が持ち込まれたのか、ゴミステーションのわきにゴミが無造作に置かれていたり、
といったゴミステーションの地区は、その地区全体に温かみが感じられず、また、この地区に住む人々の連帯感も希薄なのではないか、と私は感じてしまいます。
上州七日市駅からの道と国道254号が交差した位置です。
↓ の位置にゴミが置かれています。

高校の石垣と車道にはさまれた歩道は、それほど広いものではありません。
この写真は、きのうの朝のようすですが、ゴミが多量のときは、歩道をふさぐほどになり、通学する高校生がゴミをよけて、車道を歩く姿も見受けられます。

私は、こうしたゴミステーションを見るとき、
 この地区では、ここしか設置する場所がないのだろうか・・・
 通学する高校生や歩行者全体のことを考えるとき、ここ以外の場所に移せないものなのだろうか・・・
と考えてしまうのです。

これだけ交通量も多く、高校の正門近くということで、富岡市の廃棄物処理担当課では、地区の方々をはじめ富岡高校とも十分に協議をしたうえで、
 〇 道路交通法に基づく手続き→富岡警察署
 〇 道路法に基づく手続き→富岡土木事務所
を適正に了して、ここにゴミステーションを設置されたものと思いますが、

 高校生や歩行者へのやさしい気配り、思いやりの気持ち

があれば、別の場所にゴミステーションを設置したのではないかな・・・と、私は思うのです。

いま、富岡市では、富岡製糸場が世界遺産になるかもしれないという期待のなかで、〝まちづくりが模索〟されていますが、まずは、

 地域の意識-やさしい気配り、思いやり-を現しているゴミステーション
 
の姿をしっかり把握することから始めることもよいのではないでしょうか。
私は、以前にこのブログで、「まちを花いっぱいにしませんか」
と提案させていただきました。

富岡製糸場を見学される方は、富岡製糸場だけを見ているわけではありません。
バスや自家用車の車窓から街並みや歩いている人々など、富岡にあるもののすべてを見ているのです。

私が初めて富岡に来て、富岡高校前のゴミステーションを見たとすれば、やさしい気配り、思いやりがないところだな、と思うことでしょう。
また、富岡市は、歩道をゴミステーションにしているのか、とあきれてしまうかもしれません。

  これまでに投稿したブログです。

世界遺産登録は、地域を活性化させるか

とても気になっていること

絹産業遺産群とは・・・

 富岡製糸場の見学に来られた方々に、富岡市の街並み、私たちの日々の暮らしがどのように見えるのか、といったことをもっともっと考える必要があるのではないか、そうした外来者の視点を十分に考慮したまちづくりも考えるべきだと私は思っています。

2013年8月29日木曜日

まちづくり

心豊かな生き方とは・・・

 
つぎの画像は、「200万人のキャリアデザイン講座(現代図書)」に掲載していただいた「自分史:Let It Be -あるがままに生きようと思ったとき-(p229~244)」の部分です。
私が小学生のころ-昭和30年代の東京オリンピック前-の農村は、こんな生活をしていました。

「200万人のキャリアデザイン講座(現代図書)」に掲載していただいた文章は、2009年の冬に執筆したものですので、この文中の「一昨年」とあるのは、2007年のことになります。

農繁期になりますと、同級生などの多くは、まだ、小学校に上がっていない年齢で、妹や弟を背負い農作業を手伝わされていました。

いま振り返ってみて、当時の農家の子どもたちは、よく働いた(働かされた?)と思います。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」は、明治期の人々-秋山好古と真之兄弟・正岡子規-の思いを描いたものですが、昭和30年代に富岡市北部の農村地帯で育った少年の多くも、その時代のなかで「坂の上の雲」を追い求めて、歯をくいしばってがんばっていたのです。

貧しい生活のなかで、〝豊かな生活〟を追い求めて、必死に生きていたのです。

でも・・・

確かに貧しい生活でしたが、まわり中が同じ生活をしていたせいか、悲惨さとか苦しさといったものは感じていなかったように思います。
むしろ、地域のお年寄りはもちろん、地域のおじさんやおばさん、バイクでブイブイやっているあんちゃん、そのバイクの後ろに乗っていたスカーフのねえちゃん、川でフルチンになって、泳いだり魚をつかまえている子どものすべてが、とても生き生きとしていたように思います。

たとえば、声掛け・・・

いつでもどこでも地域のだれもが声を掛け合っていました。
道で出会って黙って通り過ぎるといったことは、絶対にありませんでした。

それは、おとなどうしであっても、
おとなA: 田んぼの水見か?
おとなB: こう暑くて、夕立がないと、米が取れねーかもしれねーな。
おとなA: そうだな・・
と、たわいない言葉のやりとりですが、それぞれが元気で過ごしていることを確認し合う、そんな意味があった声掛けであったと思います。

相手がどんな小さな子であっても・・・
おとな: どこへ行く?
子ども: 川にいく。
おとな: 気を付けるんだぞ。
子ども: うん。
といった感じで、おとなから子どもに声掛けが行われていましたが、これは地域で子どもを見守るという意味が大きかったように思います。

私は、住みやすい地域社会とか心豊かに生きる、といったことを考えるとき、私が生まれ育った家や地域のこと-きれいな山や川があって、私たち子どもを見守ってくれていたお年寄りがいた〝あの時代のあの地区での暮らし〟-を思い出すのです。

「200万人のキャリアデザイン講座(現代図書)」のp242・243に、「7.これから先・・・」として、
私がしたいことやなりたいものを列挙してありますが、要は、
 そこそこに暮らすことができ、
 私の好きなこと-化石探しや鉱物探し・読書・野菜づくり-ができて、
 すこしは地域社会のお役に立てることがあれば
という-私の願い-を述べさせてだいております。

やはり、生まれ育った時代や環境が大きく人生観の形成に作用するらしく、追い求める幸せとか自分らしく生きるといったことは、まさに原点ともいえる生まれ育った時代や環境に戻るのではないかと思います。

昭和30年代の最大のイベントであった東京オリンピックから半世紀が経って、これほどに世の中が大きく変貌するとは、誰もが予測していなかったのではないでしょうか。

この半世紀は、地域社会のつながりを希薄にさせ、それをさらに加速させてきたといえるでしょう。

 そもそも経済(経世済民)という言葉も金だけを意味する言葉ではなかったはずだ。世の
中をうまく治めて人々の幸せな生活を実現ささせること、つまり地域の課題を乗り越えて人々
が豊かな人生を送ることが目的だった。それがいつの間にか「経済的な成功」ということに
なると「お金がたくさん手に入った」ということとほぼ同義になるほど、経済と金はひっつ
いてしまった。僕らはもう一度「経済」や「豊かさ」がどんな要素から成り立っているの
か、じっくり考えてみたほうがいい時期にさしかかっている。人とのつながりや、人からの
感謝や、自分の役割が増えることや、自分にできることが増えることの価値。こうしたもの
と金や物を持っていることが組み合わさって、僕たちの豊かさは成立しているはずだ。
 そして、まちの豊かさも同じような要素で成立しているはずなのである。                                       
 
 この文章は、 「コミュニティデザインの時代-自分たちで「まち」をつくる(山崎亮・中公新書)から引用 (p82・83)させていただいたものです。

一昨日のブログで、日本郵便の高齢者サービス事業参入を紹介
    http://geogunma.blogspot.jp/2013/08/blog-post_27.html
しましたが、こうした動きによって、ますます地域社会のつながりが薄れ、ますます高齢者を孤立化させるのではないか、そんな危惧を私は感じているのです。

私が住む富岡の地域社会の多くは、新たな豊かさを再構築できる基礎が消滅してしまった、とまではいってないかもしれませんが、消滅寸前、いわば瀕死の状態といってよいのではないか、と私には思えてならないのです。

日本郵便のこの事業によって、
 ますます地域社会のつながりが崩れ、
 このような事業がさらに拡大すれば、
地域社会で支え合うといったことがなくなってしまうでしょう。

山崎氏のお考えはごもっともですが、
いますぐに、そんな事態に立ち至らないためにも、
富岡市(自治体)と市民がもっと大所高所に立って、長期的なスパンでの地域社会で支え合う仕組みづくり-まちづくり-を
もっとスピーディーにやるべきではないか、そんな思いをつよく感じています。

日本郵便の高齢者サービス事業の売り上げと儲けは、どこで申告され、どこが課税するのか・・・といったこともあります。
富岡に本店がある商店であれば、富岡税務署・富岡市ということになると思いますが・・・
今後の富岡市の税収面、財政からもまちづくりを考えてみる、こういった観点も必要なことではないでしょうか。

今日の現状をふまえ、将来の地域社会を考えるとき、もう一度
「遠くの親戚より近くの他人」
といった古人の教えをよく考えてみることが必要かもしれませんね。

2013年8月27日火曜日

私の「反省と後悔」

まちづくり

きのう(2013.8.26)の読売新聞の記事です。
私は、「富岡まちづくりワークショップ2013」に参加させていただいていますが、高齢者に対するプログラムがないこと(※1)に漠然とではありますが、すこし疑問に思っていました。
  ※1 あるのかもしれませんが、私の能力では、それを理解することができません。

このワークショップは、
世界遺産登録をめざす富岡製糸場を盛り上げる、そういった視点でのまちづくり方策ということで、あれもこれも取り上げる・・・ということではないのだろうけれど、
と自分なりに考えていたのですが、やはり、
 高齢者への対応をよく考えないまちづくりがあり得るのだろうか、
と思うようになり、ある時期からですが、
 こういうことで、よいのだろうか・・・
と感じていました。

そんな思いもあって、このブログで、

  みやのかわ商店街(秩父市) 
  「商店街再生の罠-売りたいモノから、顧客がしたいコトへ」(久繁哲之介著・ちくま新書)

を投稿させていただいたり、

富岡製糸場が世界遺産に登録されるかどうかはわかりませんが、富岡製糸場に関連してのまちづくりといったものは、これからの富岡にどのような効果(マイナス面を含めて)をもたらすのだろうか・・・

  世界遺産登録は、地域を活性化させるか 
http://geogunma.blogspot.jp/2013/08/blog-post_6.html
  とても気になっていること 
http://geogunma.blogspot.jp/2013/07/blog-post_6.html
  絹産業遺産群とは・・・ 

といったこともブログでつらつら書き綴らせていただきました。

秩父市のみやのかわ商店街の活動の紹介では、出張商店街や富山の置き薬商法をまねたという高齢者などへの対応のすばらしさに感心しましたが、
この読売新聞の記事では、日本郵便が高齢者に生活必需品を定期的に自宅に配達するサービス(画像の→)も行うことにすると伝えています。

ワークショップでは、
 〇 私たちがしたいこと
 〇 社会が求めていること
 〇 私たちができること
を考え、このみっつの接点で立案する企画がもっともよい
というコーディネーターの指導を受けて、いくつかのチームをつくり、さまざまなアイデアを出し、つぎの「まちづくりビジョン」ができました。

まちづくりビジョンは、「5万人がつくる!笑顔いきあうまち 富岡」として、
 1 「WE♥富岡」なまち
 2 まちなかが楽しいまち
 3 であえる、つどえる、ふれあえるまち
 4 自然・里山・農があるまち
 5 文化かおるクリエイティブなまち
といった項目がたてられ、この項目ごとにそれぞれの〝目標〟が掲げられています。

私は、情報発信が求められているのではないかと考え、富岡市に関することを動画にまとめ、それをYouTubeに投稿したらどうかという提案などをさせていただきました。

いま、私の提案が
 富岡市の人々に求められていることなのだろうか・・・
と思うようになりました。

なんと、とんちんかんなことを提案していたのだろうかと・・・いま、反省と後悔をしているところです。
いま、富岡のまちづくりにおいても、もっとも求められていることは、
 高齢者の方々への対応ではないだろうか、と・・・

まちづくりビジョンの「5万人がつくる!笑顔いきあうまち 富岡」の
 3 であえる、つどえる、ふれあえるまち
のなかに、
 ・お年寄りがイキイキしているまち
というのがあるのですが、
この〝目標〟をどのように達成するのかといった具体的な実行策の案を考えられなかった自分をいま反省しているところです。

日本郵便の場合、全国に張り巡らしたネットワークをもとにして、じょうずに事業活動を展開すれば、多くの顧客を獲得することができるのではないかと思います。

しかし、それで顧客が満足するでしょうか・・・

日本郵便の事業化は、みやのかわ商店街の出張商店街のようすがNHKテレビで紹介されましたが、品定めをして、買い物をするという行為への喜びが得られないことにならないでしょうか。

足腰が不自由で外出がままならないという方であっても、出張のお店が近所に来れば、出かけて買い物をしたい、そのときに近所の方々や店の人と会話を楽しみたい、と思うのではないでしょうか。

これから日本郵便がどのように事業を展開するかはわかりませんが、全国一律の対応マニュアルを作成して、公平・公正な顧客対応を図っていくと思うのです。

なぜなら、不公平があっては、日本郵便として、たいへん困るからです。

たとえば・・・
 Aさん宅に郵便局員が品物を届けたとき、Aさん宅では1時間以上も話し込んでいた、
にもかわらず、Aさん宅と同じ地区の
 Bさん宅では、Bさんが大きくなった孫から届いた手紙、写真を局員に見せて、ゆっくり話しをしたいと思って、品物の到着を心待ちにしていたのに、局員は品物を置いて、すぐに帰っていってしまった・・・
といった対応をしたとすれば、
Aさん宅で話していた内容以前の問題-Aさん宅では、ゆうパックの出し方などの相談をされていたのかもしれませんが-として、Bさんの気持ちは、あまりよくないのではないか・・・

といった事態を避けるために、日本郵便としては、業務に関連しての話題はよいが、世間話や孫の話題での長居をしてはならない、といったマニュアルを作成するのではないでしょうか。

私は、その人、その人が望むものに対して、きめ細かい対応といった面で、日本郵便がどのように事業を展開していくだろうか、ということにとても関心があります。

日本郵便の事業が円滑に進めば、地方の商店街は、大きな打撃を受けることが必定だからです。

いま、高齢者や共働きの世帯を中心に、食材等の宅配サービスが普及し、さらに日本郵便が高齢者サービスを始めれば、買い物目的での外出が大きく減少すると考えられるからです。

私が知り合った南牧村のお年寄りは、定期的な通院のとき、
① 近所の人からの買い物を頼まれ、それらの買い物をする。
② スーパーで食材を購入する。
③ そのときの減り具合で、愛車(もはや、杖がわり)である軽トラに給油する。
④ 冬であれば、灯油を購入する。
⑤ 1回/2ヶ月に散髪する。
⑥ 下仁田の食堂で、お昼に好物のかつ丼を食べる。これは、1回/月だけ。
といった行動をしていますが、この方は通院といったイベントがなければ、下仁田や富岡に出かけることがありません。

「すくない年金での生活は、たびたび出かけられない、これが限界だ」とお聞きしたことがありますが、おそらくそのとおりだと思います。

この方は、数年前に奥さまがお亡くなりになり、ひとり暮らしをされているのですが、
  「誰とも話していない日が多いので、ときにはイノシシとでも話してみたいと思うよ」
と冗談まじりに話されたこともありました。

きょうも読売新聞の第一面には、高齢者関連の記事-「認知症に優しい街」推進-が掲載されていますが、ひとり暮らしのお年寄りをはじめ、外出などの行動が不自由なお年寄りなどに対して、誰もがやさしく接し、
 ・お年寄りがイキイキしているまち
を最優先させたまちづくりを考えるべきでなかったかと、
その考えにいたらず、とんちんかんなことを考えていた私をとても恥ずかしく思っています。

いまなら・・・
 お年寄り相手の悪徳商法の人に間違われないよう、あらかじめ地区の区長さんや組長さんを通じて、地区に周知しておいていただいたうえで、
 チームのメンバーが「スマイル 富岡」と染め抜いたジャンパーを着て、
 「お話をお聞きし隊」という幟を翻しながら各地区をチームが巡回する
のはどうか、といった提案をするかもしれません。

ひたすらお年寄りのお話しをお聞かせいただく、ただそれだけ
といったシンプルな活動もまちづくりの活動のひとつではないのだろうか・・・

※ 困ったことの相談については、民生・児童保護委員さんがおられますので、お孫さん自慢とか若いときの思い出などをお聞かせいただく活動を想定しています。

 「お富ちゃんラジオ体操」の動画を作成し、YouTubeに投稿しようと考えていたのですが、
このことが
 真に富岡市の人々に求められていることなのだろうか・・・

いまの富岡における状況をよく考えず、こんな提案をしてしまって・・・(※2)

と、今更でありますが、私の能力不足と思慮の足りなさを痛感しております。

 ※2 高齢者の対応をはじめ、これからの富岡市民-いまの青少年-が住みよいと感じるまちづくりへの配慮も必要なことでしょう。また、富岡市の場合、高齢者対策のほか、富岡製糸場が世界遺産に登録されなくても、富岡製糸場を保存するためには、今後も多額の予算が必要となります。
 こうした将来の富岡市を想定したうえで、そのときに発生するであろう財政負担なども考慮して、まちづくりとはどうあるべきかを考えるべきでなかったか・・・そんな思いがしています。

2013年8月23日金曜日

神楽桟

 かぐらさん

下仁田駅前の運送店に保存されている神楽桟(かぐらさん)です。 
 ご主人によれば、昭和30年代の前半ころまで、下仁田駅で重い荷物をおろすときに使用していたとのことでした。

 神楽桟について、造園工具事典
 http://www.weblio.jp/content/%E3%81%8B%E3%81%90%E3%82%89%E3%81%95%E3%82%93
では、つぎのとおり説明しています。

  
 2~4人で軸にロープを巻きながら、石や大木などの重量物の運搬を行う装置。  太い柱を軸とし、そこの丸太などの回し棒を、横向きに取り付けている。2~4人で回し棒を押して軸に綱を巻き取り、荷をたぐり寄せる。  海岸で地き網を巻き取る装置と同じ構造であり、昔は石を曳くための主力的な道具であったが、現在はウインチにとって代わっている。

今日のクレーンやウインチがなかった時代、この神楽桟によって、重い物を引っ張ったり持ち上げていたのだそうです。

下仁田町で神楽桟を保存されている運送店の場合、この神楽桟が最後に使われたのは、昭和30年代に貨物で下仁田駅に運ばれてきた橋桁をおろしたときとのことでした。

いまでは、自動車輸送が全盛ですが、昭和30年代といえば、まだまだ鉄道輸送が盛んでした。
この写真は、1965(昭和40)年4月に発行された群馬県蒟蒻原料商工業協同組合の組合五十年史に掲載されているものです。

この写真には、撮影年月日の記載がありませんが、1965(昭和40)年以前のもの-昭和30年代後半?-と考えてよいでしょう。

つぎの写真も組合五十年史に掲載されているものです。
たくさんの貨車が並んでいて、荷物の積み込み作業中と思われる写真です。

昭和30年代ころの下仁田は、下仁田駅からは、農産物の下仁田ネギをはじめ、こんにゃくの粉、石灰や石材などが積み出され、下仁田駅にはさまざまな物資が運ばれていました。

神楽桟を使って、重い物を貨車からおろしたり、農産物や石灰、石材を積み出し、さまざまな物資や多くの人々が往来していた下仁田駅は、まさに下仁田の顔であり、玄関であったといえるのです。

そんな時代の下仁田を思い浮かべながら、下仁田音頭をお聴きいただきますと、より一層の情趣を味わっていただけるのではないかと・・・

古いものが大切に残されて
古きよき時代のおもかげを残す
下仁田町にお出かけください