2013年8月23日金曜日

神楽桟

 かぐらさん

下仁田駅前の運送店に保存されている神楽桟(かぐらさん)です。 
 ご主人によれば、昭和30年代の前半ころまで、下仁田駅で重い荷物をおろすときに使用していたとのことでした。

 神楽桟について、造園工具事典
 http://www.weblio.jp/content/%E3%81%8B%E3%81%90%E3%82%89%E3%81%95%E3%82%93
では、つぎのとおり説明しています。

  
 2~4人で軸にロープ巻きながら、石や大木などの重量物の運搬を行う装置。  太いを軸とし、そこの丸太などの回し棒を、横向き取り付けている。2~4人で回し棒を押して軸に綱を巻き取り、荷をたぐり寄せる。  海岸で地き網を巻き取る装置と同じ構造であり、昔は石を曳くための主力的な道具であったが、現在はウインチにとって代わっている。

今日のクレーンやウインチがなかった時代、この神楽桟によって、重い物を引っ張ったり持ち上げていたのだそうです。

下仁田町で神楽桟を保存されている運送店の場合、この神楽桟が最後に使われたのは、昭和30年代に貨物で下仁田駅に運ばれてきた橋桁をおろしたときとのことでした。

いまでは、自動車輸送が全盛ですが、昭和30年代といえば、まだまだ鉄道輸送が盛んでした。
この写真は、1965(昭和40)年4月に発行された群馬県蒟蒻原料商工業協同組合の組合五十年史に掲載されているものです。

この写真には、撮影年月日の記載がありませんが、1965(昭和40)年以前のもの-昭和30年代後半?-と考えてよいでしょう。

つぎの写真も組合五十年史に掲載されているものです。
たくさんの貨車が並んでいて、荷物の積み込み作業中と思われる写真です。

昭和30年代ころの下仁田は、下仁田駅からは、農産物の下仁田ネギをはじめ、こんにゃくの粉、石灰や石材などが積み出され、下仁田駅にはさまざまな物資が運ばれていました。

神楽桟を使って、重い物を貨車からおろしたり、農産物や石灰、石材を積み出し、さまざまな物資や多くの人々が往来していた下仁田駅は、まさに下仁田の顔であり、玄関であったといえるのです。

そんな時代の下仁田を思い浮かべながら、下仁田音頭をお聴きいただきますと、より一層の情趣を味わっていただけるのではないかと・・・

古いものが大切に残されて
古きよき時代のおもかげを残す
下仁田町にお出かけください

0 件のコメント: