2019年7月30日火曜日

金井沢碑が今日まで残ったのは?

金七十五円で明治政府が買い上げたから!

上野三碑のひとつである金井沢碑を、明治15年にときの群馬県庁・明治政府が所有者から75円で買い上げていたとは、恥ずかしながらまったく知りませんでした。
いま、ある調査のために資料調べをしているのですが、その過程でつぎの文献を見つけました。

明治初年における古碑保存事業(上)
  就中、金七十五圓にて買い上げたる金井澤碑 
             群馬縣廳文書
と題する文献に驚いてしまいました。
「史跡 金井澤碑」の石柱には、
  大正十ニ年十月 建設  内務省
と刻まれていて、むかしから大切に保存されてきた文化財だと思っていたのですが、明治のとき、上野三碑をしっかり保存していこうとした群馬県庁、明治政府がなかったとすれば、上野三碑にならず上野二碑-多胡碑+山上碑-になっていたかもしれません。
内部を一般公開した日に撮影させていただいた金井沢碑になります。
つぎは冒頭の文献にあるもので、
  碑石所有主直吉、種々苦情を唱へ
と続く文章をお読みください。
 以下は、明治初年における古碑保存事業(下)に記載されています。
 明治15年2月28日に群馬県令楫取素彦が内務卿に対して、75円を下げ渡していただきたいという文書に基づき、内務卿山田顕義が
   書面金井澤民有地古碑代價金七十五圓古社寺保存費より下渡候事
との指令が届き、つぎの契約書-請書-につながっていきます。
ひとつ不思議なのは、所有者の
   春山直吉逃亡に付
として、所有者の妻と親せき、組合(地域)の代表が捺印していることです。
明治15年における75円といえば、細かなことは承知していませんが、県令と内務卿のやりとりから推測しても、かなりの大金であったと思われます。
春山直吉の身になにが起きたのか、とても興味あるところですが、このことはさておいて、明治10年代において、貴重な文化財を保存していこうという明治政府があって、いまの上野三碑があることを思うとき、文化財行政というのは息の長いものであることを感じます。
とても興味深い文献ですが、これから
  群馬県庁文書
の原本を確認してみたいと思っていますので、ここで紹介した文献の出所は記載しません。

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