2015年3月4日水曜日

お蚕は生きもの

いらぬ心配と思っていますが・・・

この3月号の富岡市報には、「蚕を育て繭を収穫してみませんか」という見出しで、養蚕の勉強会をはじめ、希望者に100頭(お蚕を数えるのは、匹ではなく、頭(とう)が用いられます)ずつ飼育してもらおうという計画が紹介されています。

以前にこのブログ(↓)

  富岡市-2015年度一般会計当初予算案
    こんなことで、だいじょうぶなのかな・・・
  http://geogunma.blogspot.jp/2015/02/2015.html

で紹介しましたが、希望者が蚕を飼育することを市民養蚕というのだそうです。

いまでも富岡市内には、養蚕農家の建物が残っていますが、すでに養蚕をやめてしまった農家が多く、養蚕のための用具類も処分してしまったという農家もいるとお聞きしています。
撮影:2015.1.13(富岡市南蛇井)
私が子どものころは、集落の全体で、たくさんお蚕を飼っていて、どこも桑畑・・・、といった状況でしたが、桑の木を抜き取って、普通畑(その多くが、こんにゃく畑になったのですが、いまでは荒れ放題になっている畑も少なくありません)にして、いまでは桑畑を見ることも少なくなりました。
撮影:2013.7.3(富岡市上南蛇井)
いまでも残っている桑畑を目にしますと、子どものときに桑取り(桑の葉を摘んだり、枝ごと切って、桑の葉を家に運ぶ作業)をさせられ、毛虫にはわれて、からだ中がかゆくなってしまったことや、夕立のなか、びしょ濡れになって、桑の枝を家まで担いで運んだことなどを思い出します。
養蚕農家の子どもは、お蚕を育て、繭を売って得たお金で、わが家の生計が成り立っていることをよく知っていますので、桑取りや桑くれ(お蚕に桑を与える作業で、専門用語では給桑というようです)など、親に言いつけられた作業をもくもくとこなしたもの(ほんとうは、いやでいやでたまらず、不平たらたらといったことであったのですが、ちょっと見栄をはって、よい子ぶってしまいました)でした。
手伝いのなかで、いちばんいやであったのは、お蚕のうんち(これを、私が生まれた地区では、〝こくそ〟と呼んでいました)を片付ける作業でした。

当たり前のことですが、お蚕は生き物であり、桑の葉を食べて生長して、白いきれいな繭をつくりますが、食べれば出すものを体外に出します。

富岡市の市民養蚕事業では、桑の代わりに人工飼料を用いるとのことですが、いまの時代ですので、桑の葉を食べたお蚕のうんちより臭くない工夫がなされているかもしれませんが、お蚕そのものが生きもの(なんたって、カイコガという昆虫ですから)であり、お蚕独特の臭いはするのではないかと思うのです。

私が子どものころ、こくそが爪の間に入ったり、手に沁み込んで、こくその臭いがなかなかとれず、ごはんを食べるとき、自分の手の臭いをなんとかしたいと思ったほどでした。

わずか100頭の飼育であり、こくその量も多くないと思いますし、人工飼料と同様に、いまはすばらしい飼育キットもあるかと思いますので、こくその処理や繭をつくらせるまでの飼育は、とてもやりやすいものになっていることと思うのですが・・・

お蚕は生きものであり、死ぬこともありますし、臭いうんちをする・・・、といったことを承知したうえで、きちんとお蚕を飼育してほしいと思うのです。

そんなことは百も承知だ、いらぬ心配をするなとお叱りをうけるかもしれませんが、お蚕を飼ったことがある方、あるいは子どものときに親に言いつけられて、お蚕の世話をしたことがある方であれば、お蚕のことをよく知っていますので、それはそれでよいのですが・・・
来年度から富岡市が始める市民養蚕事業ですが、どれだけの希望者がいて、この事業がどれだけ続くものか、たいへん興味があります。

旧官営富岡製糸場前には、「かいこの王国」というお菓子を販売している店もありますが、子どものときにお蚕とともに暮らしていた私には、この図柄からお蚕の臭いが先に思い出されて、とても買って食べる気にならないのですが・・・
撮影:2015.1.13(富岡市富岡)
観光客の方々がお買い求めになっているところをみますと、いまやお蚕は、私たちの生活から遠のいて、臭いがするものではなくなり、おいしいデザインのチョコに変身できた時代になったというべきなのかもしれません。

このように考えてみますと、おしゃれなマダムが飼っているお蚕をブローチ代わりにつけて、富岡のまちを闊歩するようになるのかも・・・

これから先、どんな時代になることやら。

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