2014年7月2日水曜日

富岡製糸場と絹産業遺産群-上毛新聞記事

下仁田自然学校の活動荒船風穴

2014.6.30付けの上毛新聞は、世界遺産登録に関する特集記事が満載(別冊もありました)で、その特集のなかに、関係する伊勢崎市・藤岡市・富岡市・下仁田町の市長・町長の対談記事がありました。
全文は、上毛新聞でお読みいただくとして・・・

下仁田町長の発言のなか(赤い矢印の先)で、下仁田自然学校の活動が紹介されていました。

この記事を読ませていただき、下仁田自然学校に関係するひとりとして、たいへんうれしく思いました。

現在の下仁田自然学校の活動をはじめ、各地学研究団体や先人のたゆまぬ研究成果の積み重ねが、下仁田町を群馬県第1号の日本ジオパーク認定に導いたといってよいと思いますが、私にとって、この記事の内容は、さまざまな分野での研究の積み重ねが、つねに必要なことであることを改めて認識した記事でもありました。

ところで、きのうは7月1日ということで、いよいよ暑くなってくるな・・・と思い、避暑地として有名な軽井沢に行ってきました。
  (この認識と行動に関連性があるのか?といわれますと、はて・・・となってしまいますが)
この画像は、軽井沢のおみやげもの屋の店先です。
「軽井沢のおみやげなら・・・」という表示がありますので、『ああ・・ここは軽井沢か』とお気づきになると思います。
この表示がなければ、「これは富岡のおみやげもの屋?」と思われてしまうかもしれませんが、軽井沢で富岡製糸場の絵や文字が印刷されたお菓子類が販売されていました。
軽井沢に行かれたことがある方は、変則交差点のところにあるおみやげもの屋として、ご存知のおみやげもの屋だと思います。
この夏、軽井沢にお出かけになった折には、軽井沢に富岡製糸場のおみやげがあることをご覧になってみてください。

ところで、いま私は、「富岡製糸場のおみやげ」と記述しましたが、ほかの構成資産(荒船風穴・田島弥平旧宅・高山社跡)に関するおみやげは、ここにはまったく置いてありませんでした。
もともと富岡製糸場を世界遺産に、ということで始まったことであり、その後に富岡製糸場だけでは、世界遺産への推進力が弱いということになり、〝世界遺産としてのストーリーづくり〟として、ほかに何かないか・・・ということで、各市町村にリストをあげさせたもので、その最初のころには、まさに雑多なものが加わっていたというのが、実態であったといってよいでしょう。

これではまずいということで、富岡製糸場との関係が証明できるものが何かないか、ということで文献調査等を実施し、ちょっとでも関係があったと思われる資料があった資産を選んだのが、荒船風穴ほか2件の3件でした。

まさに、富岡製糸場と絹産業遺産群という名称そのものであり、〝富岡製糸場+その他3件〟といったイメージが定着してしまったためか、どうしても世間の関心、多くのマスコミ等の関心は、富岡製糸場に向いてしまうということなのでしょう。

これも世界遺産に向かって、資料づくりが行われてきた歴史等をみれば、やむを得ないことであるかもしれません。

いま、富岡製糸場には、世界遺産登録決定後、多くの見学者が押し寄せて、ガイドの手配ができないとか、観光会社からガイドをつけてくれないかといった要望(苦情?)があったという新聞記事がありましたが、ほかの構成資産のところでは、見学者は増えたとはいうのの、そのような大混雑は世界遺産登録後になかったとのことでした。

一時的かもしれない多くの見学者にもみくちゃにされて、一時的に苦労して、多額の経費を投じ、あとには何も得るものが残らないという世界遺産になるよりは、富岡製糸場以外の構成資産は、じわじわと浸透させていくような方法で、継続的に観光と文化財保護を両立できる方法で、しっかりした運営をしていくべきかもしれません。

2014.6.30付けの上毛新聞、そのなかの対談記事を読ませていただいて、私が思ったことをうまく表現できませんが、いま記述したようなことを考えました。

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