2019年10月18日金曜日

馬喰さつき・渋沢栄一

2021年のNHK大河ドラマに
加えてほしいエピソード

つぎの「澁澤榮一翁と馬喰さつき(依田今朝吉)」は、昭和10年11月1日発行の「上毛及上毛人」に掲載されているものです。
コピーさせていただいたのは、「上毛及上毛人」の復刻版で、昭和49年6月1日に上毛新聞社・豊国秀丸によって発行されたものです。
 この記事の内容をかいつまんで申し上げますと、
 ① 渋沢栄一は18歳から24歳まで、藍玉の行商で上州と信州を歩いていた。
 ② 万延元年、渋沢栄一が21歳のとき、北甘楽郡月形村(現在の南牧村)の紺屋市川嘉兵衞宅に立ち寄った。
 ③ 渋沢栄一が庭先につないでおいた渋沢栄一の馬が、市川宅の鉢植えのサツキを食べてしまった。
 ④ 損害賠償交渉の結果、渋沢栄一は、お詫びの代わりとして、筆太に愛染明王と年月日を記し、私が成功したのちに姓名を書き入れると約束した。
 ⑤ こうして渋沢栄一は、馬が食べてしまったサツキを弁償せずにすませた。
 ⑥ 市川宅では、このサツキを土植えにして、また渋沢栄一の書は、自然石に刻んだ。
 ⑦ このことは、村人の語り草として伝えられている。
といったことになると思います。
想像するに、血気盛んの渋沢栄一は、
 おれは、きっと大物になる。
 そのとき、この書を持っていれば、いい値になるはずだ。
とでも言って、サツキの弁償代金を支払わなかったのかもしれません。
のちに渋沢栄一が有名になり、馬喰さつき保存會が地元でつくられたり、「馬喰さつき保存標句集」なるものが発行されるようになったのではないでしょうか。
南牧村
渋沢栄一の馬が市川宅のサツキを食べてしまったこと、そして地元に馬喰さつき保存會がつくられたことを考えるとき、明治期における渋沢栄一の活躍は、全国の津々浦々にまで響いていたといえそうです。
きっと市川宅や月形村の人々は、
 あのとき藍玉の行商をしていた若者が、
   たいへん立派になって、たいしたものだ
と、馬喰さつきを見るたびに、若いころの渋沢栄一を思い出したことでしょう。
依田今朝吉の「澁澤榮一翁と馬喰さつき」によれば、渋沢栄一の馬が市川宅のサツキを食べ、いろいろなやりとりがあったところを市川宅の女の子(当時12歳で、昭和9年に逝去)が目撃していたとのことで、このときのことをよく覚えていたそうです。
渋沢栄一は、とても魅力のある若者であったのかもしれません。
上毛新聞の論説(↓)にあるとおり、血気盛んな青年時代のエピソードを知ることによって、経済界の大物になっていく渋沢栄一の姿をよく理解できるのではないかと思います。
2021年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」においては、渋沢栄一の青年時代をいっぱい描いてほしいものです。
その際、「馬喰さつき」のエピソードを加えていただければ、埼玉県と群馬県において、いろいろな土地が関係してくることになり、誘客の効果も大きいものになると思います。
2021年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」の
放送がとても楽しみです。

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