「高崎藩士の子孫が慰霊」
2016.11.17(木)の上毛新聞に
高崎藩士の子孫が慰霊
と題した記事が掲載されていました。
幕末に起きた「下仁田戦争」では、高崎藩士と水戸天狗党双方に死傷者がでました。
高崎藩の場合、36名もの藩士が戦死するという悲しい結果になりました。
下仁田戦争 元治元年11月16日(1864.12.14)未明 開戦
天狗党VS高崎藩
http://geogunma.blogspot.jp/2013/12/blog-post_14.html
高崎藩士と天狗党の方々双方ともに、たいへん気の毒なことであったとしか言いようがない、そんなめぐりあわせによる戦いであったといってよいでしょう。
小坂坂峠に立てられた碑です。
いまでも水戸市からは、下仁田へお墓まいりに来られると聞いています。
下仁田戦争 天狗党の西上-幕末の悲劇-
http://geogunma.blogspot.jp/2013/12/blog-post_8.htmlこのブログ(↑)の一部を引用してみます。
来年の2014年は、1864年から150年。
下仁田町で「全国ねぎサミット」が開催される年でもあり、
こんにゃくを通じての縁-乾燥技術の導入-も深い茨城県との縁をさらに深めるため、
下仁田町が天狗党・高崎藩の関係者を招いて、
150年の記念慰霊祭を開催する、というのはいかがでしょうか。
2013年のブログですので、来年の2014年となっていますが、下仁田町には、こういった〝気配りができる町〟になってほしいものだと思って、このような提案をさせていただいたものでした。こんにゃくを通じての縁-乾燥技術の導入-も深い茨城県との縁をさらに深めるため、
下仁田町が天狗党・高崎藩の関係者を招いて、
150年の記念慰霊祭を開催する、というのはいかがでしょうか。
ことしも下仁田町では、ねぎ祭りが開催されるとのことです。
あわせて、日本ジオパーク関東大会を開催するとも聞いています。
下仁田の地で戦い、亡くなった方々は、高崎藩と天狗党、その双方の子孫の皆さんがいっしょに慰霊してくれることを待ち望んでいると私は思うのです。
日本ジオパーク関東大会には、茨城県北ジオパークの皆さんも参加されることでしょう。
茨城県大子町は下仁田町とコンニャクを通じて、深い縁があります。
そして、有名な桜田門外の変ですが、このときの水戸の浪士の活動資金は、コンニャクで財を成した富農が提供していたといわれています。
地域の歴史を大切にすることは、むかしのできごとをきちんと整理できることにもなるでしょうし、新たな友好関係を築き上げていくこともできるのではないでしょうか。
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