2014年3月2日日曜日

荒船風穴

国土地理院発行の1/25,000の地形図

2012(平成24)年9月1日発行の地形図「荒船山(あらふねさん)」に
 荒船・東谷風穴蚕種貯蔵所跡
として、荒船風穴が表示されています。

なぜ、

 荒船風穴

と簡潔に表記しないの? それに、東谷って・・・?

という疑問を持たれる方がいらっしゃると思います。
荒船風穴は、2010(平成22)年2月22日(平成22.2.22という、すべて2になっています)に国指定史跡
  になったのですが、このとき、
 下仁田町の荒船風穴と中之条町の東谷風穴を一緒にしたため、
 荒船・東谷風穴蚕種貯蔵所跡
という史蹟名称になった、
   というわけなのです。

地形図の製作といった観点から考えるとき、史蹟名称のとおりに記載すべきかもしれませんが、たんに
 荒船風穴と記載したうえで、史蹟の記号を付せば十分ではないか
   と、私は思うのですが・・・

下の画像は、上の画像の更新版が出る前の地形図(1980(昭和55)年1月30日発行)ですが、これには荒船風穴が記載されていません。
国指定史跡になり、世界遺産登録をめざす「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産のひとつになったことによって、地形図に記載されることになったのでしょう。

荒船風穴は、今月いっぱいは冬季閉鎖ということで、見学することができませんが、来月からは見学できるようになるとお聞きしていますので、新緑の下仁田ジオパーク、荒船風穴にお出かけください。
撮影:2013.6.18
参考までに、新しい地形図には、道平川ダムも記載されています。
ずっと前のことになりますが、大手の建設会社のテレビCMで、「地図に残る仕事(あるいは、地図に載る仕事)」といったフレーズがありましたが、道平川ダムの記載は、建設に携わった方々にとっては、まさに地図に載る仕事をされた、ということになるのでしょう。
道平川ダムができ、地形図にダムが記載されたわけですが、と同時にダムができる前にあった家々の存在は、地形図から消されてしまったことになります。

ここで、ダム建設に関する私の持論を展開するつもりはありませんが、私たちが暮らしているなかで、目にする構造物等-道路や鉄道、ダム、工場団地など-がつくられる前、そこにどのような人々が暮らしていて、どのような生活をしていたのだろうか・・・と、すこしでも思いをはせていただければ、たいへんありがたいことだと思っています。

0 件のコメント: