鉄で結ばれた縁
2013.10.8(火)、鉄山研究会(園部洋会長)の皆さんらとJFEスチール㈱東日本製鉄所(京浜地区)を見学させていただきました。
この見学会は、「よんまる会」(昭和40(1965)年に日本鋼管㈱(当時)に入社された方々の親睦団体)の皆さんのお世話になって実現したものです。
第一次大戦中の大正5(1916)年、日本鋼管㈱が中小坂鉄山の鉄鉱石を採掘する権利を取得しました。
このころ、日本鋼管㈱では、国内7か所の鉱山、製鉄所を買収(権利設定)したとのことです。
今年の6月初旬、「よんまる会」の方々が日本鋼管㈱と縁があった中小坂鉄山に来られ、坑道や製鉄所跡を見学していただきました。
このとき、「中小坂鉄山から運ばれた鉄鉱石が鉄になった川崎の製鉄所へお出かけになりませんか」とお誘いを受け、この日の見学会が実施されたものです。
この日の見学は、扇島正門を入って、鋼管海底トンネルを通って、扇島大橋を渡って、扇島地区内のアメニティホールに案内していただき、JFEスチール㈱東日本製鉄所(京浜地区)の説明を聞かせていただきました。
扇島地区は、東西方向が3km、南北方向が2kmで全体の面積が600万㎡あり、そのうち550万㎡がJFEの用地になっているとのことで、とにかく広大な敷地に、原料ヤードから製鋼、熱延、厚板などをつくる大きな工場が建ち並んでいます。
下の写真は、JFEスチール㈱の紹介をはじめ、ここ東日本製鉄所(京浜地区)で原料が運ばれてきて、鉄製品となるまでをまとめたビデオを視聴させていただいているところです。
いよいよ製鉄所内の見学に出発です。
ヘルメット、上着、軍手、ガイドラジオをお借りして、バスに乗車させていただきます。
構内の撮影は、×になっていますので、これから先の画像はありません。
高炉は、高い炉というだけあって、見上げるときの高さは、とても迫力があるものでした。
※ たいへん残念ですが、私の作文能力では、構内のようすを的確にお伝えすることができません。
お許しください。
これは、資料館に展示されているトーマス転炉のレプリカです。
この資料館には、トーマス転炉の導入をはじめ、わが国の民間製鉄業の発展に尽力された今泉嘉一郎が紹介されています。
今泉嘉一郎は、群馬県勢多郡東村大字花輪(現・みどり市)の出身です。
初めて見る製鉄所内のようすに驚き、広大な敷地にも驚いた見学が終わったとき、美しい夕焼け空になっていました。
かつて、中小坂鉄山の鉄鉱石が運ばれていた大正年間、この地で働かれていた人々も美しい秋の夕焼け空を見ていたことでしょう。
この見学によって、
明治から大正期の先人も、その後の人々も、
製鉄を通じて、わが国の経済、産業を支えているという気持ちで、
一生懸命に誠実に努力されてきた、
その一生懸命に誠実に努力する伝統が、
現代の匠たちに継承されていること
を私は実感させていただきました。
見学会のあとは、アウマン邸で「よんまる会」の方々と懇親の宴が開かれました。
「よんまる会」を代表して、荒木さんからあいさつがありました。
鉄山研究会の園部洋会長のあいさつです。
鉄山研究会の原田喬さんからあいさつがありました。
乾杯!!!
懇親の宴が始まり、あちこちで明るい談笑の声があがりますお陰様で「鉄で結ばれた縁」をつよく、再確認した一日になりました。
「よんまる会」の足立英夫様・荒木健治様・井戸禎光様・上野康様・榎本洋一様・金子義明様・川畑成夫様・佐藤秀樹様・辻村慶四郎様・寺田修様・福島勤様・矢沢恒治様には、たいへんお世話になりました。
これからもご自愛をされて、どうぞお元気でおすごしください。
そして、「鉄で結ばれた縁」のある下仁田へお出かけいただき、下仁田ジオパークのジオサイトの見学をしていただければ幸いです。
寒くなってきますと、下仁田の名産「下仁田ねぎ」の風味が増してきます。
寒い日に鍋物などに入れて、「下仁田ねぎ」を食べれば、まさに絶品の味です。
見て楽しい、歩いて楽しい、
食べておいしい、飲んでおいしい
下仁田へお出かけください。
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