2013年6月21日金曜日

上信電鉄

あ ら ふ ね 号

このブログの2013.6.6付け「珍しい看板」で、かつて「荒船号」という国鉄の電車が上信電鉄で走っていたことを紹介しました。

この写真は、「上信電鉄百年史(以下「百年史」といいます)」に掲載されているもので、これが「あらふね号」になります。

               「荒船号」ではなくて、「あらふね号」でした。
                 お詫びして、訂正させていただきます。

百年史の年表には、つぎのとおり記載されています。

    昭和35年(1960) 7.   「あらふね号」電車直通運転許可申請
      〃       10.       〃   直通運転許可
     〃   36年(1961) 4.23     〃   直通運転開始
           〃   44年(1969) 9.       〃    直通運転終了・115型4両


「あらふね号」の運行時刻表(昭和37年7月)が、百年史に掲載されています。
 

     (下  り)                     

      上野駅      01:00
      大宮駅       01:44
      熊谷駅       02:25
      高崎駅       03:20
      下仁田駅   04:13

  (上  り)
     下仁田駅    17:13
     高崎駅       18:44
     熊谷駅       19:32
     大宮駅       20:17
     上野駅       20:54

上野駅を午前1時に出発し、下仁田駅に4:13分に到着。このあと、臨時便のバスなどによって、荒船山や神津牧場方面に向かいました。

百年史には、昭和36(1961)年に「あらふね号」の直通運転を開始したときは、6月25日までの2か月間の休日に1往復との予定であったが、乗客が多いために11月5日まで延長されたと記載されています。
夕方には下仁田駅から「あらふね号」に乗車して、東京方面に帰るという日帰りのハイキングは、当時の若者たち(だけとは限らないでしょうけれど)に、とても人気があったことが想像されます。
むかしのことを紹介しましたので、現在の上信電鉄のレール、背景の山々を撮った写真(上小林地内で撮影)をモノクロにしてみました。

山の紹介をいたしますと、正面の手前が破風前場(地元では、「はめえば」と発音しています)の岩山で、その右に小さな突起のように見えるのが、鍬柄岳(くわがらだけ。地元では、「石尊山(せきそんさん)という呼び名が使われることが多いようです)です。
さらに、その右側のなだらかな曲線の山が大桁山(おおげたやま)です。
この写真には写っていませんが、写真の右側には、美しい姿の神成山(かんなりやま)があります。

かつて、「あらふね号」で来られた方々もこうした風景を眺めたり、荒船山や神津牧場、妙義山方面で楽しいハイキングをされていたことでしょう。

これからの時代のこと-エネルギーや環境のことなど-を考えるとき、電車での移動はとてもよいことではないかと思います。

    上野駅のホームから、
       下仁田行き「ジオパーク号」が出発して、
       たくさんの方々にお出かけいただける、
       そんな時代になってほしいものだと思っています。

    ところで、最初の画像(百年史から引用した画像)に「扛上」ということばがあります。
    これは、「こうじょう」と読み、ホームなどをかさ上げすることを意味しています。
    一般的にはつかわれていない用語ですので、わかりづらいことばといえるかもしれませんね。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

あらふね号ご存知の方がいらっしゃるとは思いませんでした。幼少の頃、祖父と富岡駅に良く見に行きました。調べてもなかなか出て来ないんですよ。

Yuji,Honda さんのコメント...

コメントありがとうございます。
それほど過去のことではないのですが、関連する資料などがなくなっていってしまっているようですね。
とても残念なことだと思うのですが・・・