2020年2月11日火曜日

「島村渡船 再開ピンチ」

2020.2.9(日)の上毛新聞を読んで

今年も島村渡船を利用して、田島弥平旧宅をはじめ渋沢栄一記念館などをめぐりたいと思っていたのですが、上毛新聞の記事(↓)によれば、島村渡船の再開は難しい状態であるように感じました。
 下の画像は、2017.4.4に島村渡船で撮影しました。
船の離発着場のむこうに、大きな重機が置かれているのが見えると思います。
島村渡船の場合、大水によって、船の離発着場が大きな被害をうけ、それの修復や川底の浚渫が、毎年の恒例行事のようになっていた感もありました。
島村渡船に乗りたいときは、伊勢崎市のHPで島村渡船の運航状況を確認するのですが、これまでに何度か「運航できない状態」という告知を見て、たいへん残念に思ったことがあります。
下の画像は、群馬県立自然史博物館の東京外郭放水路のバスツアーに参加したとき、関宿城博物館前の公園で撮影したものです。
利根川をはじめ、多くの河川が舟運でにぎわっていた時代、浚渫が大切な作業であったことを説明している看板(↑)です。 
かつて利根川で浚渫に使用された浚渫船が展示してありますが、たいへん大きなことにビックリします。
利根川の流れ、大雨による土砂の流出量を想像するとき、大きな浚渫船が登場したとはいえ、利根川の流れを舟運に適した状態にすることは、実に困難な作業であったと思われます。 
GoogleMAPで島村渡船を見る(上流側から見た画像 ↑)と、利根川の流れ、その川幅の広さが実感していただけると思います。
利根川の氾濫によって、右岸側にある島村地区は、たびたび大きな被害をうけるのですが、その大水が桑畑を流れることによって、害虫駆除に効果があることに気づいた島村の人びとは、禍を転じて福となすの精神で努力し、幕末から明治にかけて、「蚕種の島村 」として、世界的に有名な地区になっていきます。
いまは、広い川幅の利根川にいくつも橋が架けられ、人びとの移動や物資の輸送などでは道路が主体となり、舟運や渡船といった時代でないかもしれませんが、利根川と島村地区の関係を考えるうえで、とても貴重な島村渡船の再開ピンチの報道は、いまの交通インフラ整備の流れをはじめ、自治体の財政状況などを考えるとき、実に悩ましい問題といえるかもしれません。
報道の詳しい内容については、上毛新聞の記事をお読みになってください。

私が乗船した際に撮影した動画のうち、
Youtubeに投稿した動画を紹介します。
どうぞ、ご覧ください。




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