2018年9月4日火曜日

“根なし山”ができたのは?

南部フォッサマグナが隆起したから!

きのうのブログ(↓)

「フォッサマグナ-日本列島を分断する巨大地溝の正体-」(藤岡換太郎・講談社ブルーバックス) 
刑事もののドラマではないのですが、 事件の犯人がわかったような気分です

で、〝犯人〟がわかってきたということをお伝えしましたが、まだ〝事件のことを説明していませんでしたので、その〝事件〟といいますか私が疑問に思ってきたのは、下仁田町ある“根なし山”がどうしてできたのだろうか・・・ということです。
2017.11.8
「下仁田町と周辺の地質(2009・下仁田自然学校)」の8頁に跡倉クリッペの山々という解説がありますが、そのなかでクリッペができてきたことをつぎのとおり述べています。

 地下深くで、横からの強い力により低角の断層ができ、上盤と下盤が大きくずれ動いて別の岩体の上まで移動しました。その後、大地は隆起をつづけ、それにともない上盤は浸食され、断層面が地表に達し、上盤の一部が山体として残ったものです。

「下仁田町と周辺の地質(2009・下仁田自然学校)」の解説には、多くの方々がいちばん知りたいことである
  〇 いつ
  〇 どのような力で動いたのか
が述べられていません。
2015.1.15
「日本の地質百選」の解説であったと思いますが、跡倉押しかぶせ断層を述べたなかに、次の記述があったと記憶しています。(文献を正確に記載できず、誠に申し訳ありません)
 
 〇 ナップ基底部は、多数の断層の集合体であること。
 〇 ナップ基底部の傾斜は、ほとんど水平で、上盤側の下盤に対する相対運動方向は、
  西→北西→北という時計回りの動きが記録されていること。
2012.3.19
この解説板(いまは撤去されています)で注意していただきたいのは、走向・傾斜のほか、

 断層運動で動いてきたときにこすれた跡-条線-があって、移動の方向を示している

という部分です。
条線については、つぎの画像(↓)をご覧ください。
2013.11.1
現地に立てられている解説板(↓)には、移動してきた大地という4コママンガ風にしたものが描かれています。
2014.9.5
ユーラシア大陸から離れて、日本列島ができてくるとき、フォッサマグナの東と西が観音開きのようになって、東側が反時計回りに、西側が時計回りに回転してきたといわれています。
いまの日本列島は、ユーラシアプレートに押され、北米プレート・太平洋プレート・フィリピン海プレートが潜り込んでいますが、南部フォッサマグナを隆起させた大きな力は、フィリピン海プレートの動きであったと考えられています。
フィリピン海プレートは伊豆半島を動かしているプレートですが、このプレートが中央構造線を下仁田あたりまで押し上げ、さらには多くの山々などもつくったことでしょう。
“根なし山”は、15Maぐらいのとき-南部フォッサマグナが盛んに動いていたころ-に、フィリピン海プレートにギュッギュッと押され、持ち上がってきたといいますか盛り上がってきた-隆起-ということではないかと私は思うようになりました。
これから地層に含まれる化石などを比較して、主に南部フォッサマグナの隆起過程との関連-証拠探し-をしてみたいものです。

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