2016年3月28日月曜日

よい繭ができたとしても

まずは 農家がよい価格で 繭を売れないことには 
養蚕は続かないのでは・・?

2016.3.23(水)の上毛新聞記事(その一部)です。
富岡市内3か所の遊休農地に、5,000本の桑苗を植える計画だとか・・・。
この記事には、桑苗の植え付け作業の写真も掲載されています。
私の生家は、養蚕農家であったのですが、繭の価格が安くなり、採算がとれなくなってきた昭和40年代のはじめには、桑の木を抜き取って、こんにゃくの栽培に転換しました。
桑の木を抜き取り、それを畑の真ん中に積み上げて、風がない静かな日に燃やしたものでした。
あのころは、私の生家ばかりでなく、地区全体の農家が養蚕をあきらめ、桑の葉がたくさん取れるようになった桑の木を抜き取り、何日もかけて燃やしていたことを覚えています。

上毛新聞の記事を読んで、桑苗を植え付けたという丹生湖畔の畑に行ってみました。
植え付けられた桑苗・丹生湖畔(2016.3.27撮影)
私が小学校に入学する前であったかと思うのですが、私の家でも桑苗づくりをしていたようで、父が土間で桑苗づくり(接木)をしていたような、かすかではありますが、そんな記憶があります。
その後、おじの家で、おじが桑苗づくりをしていたのを見ていますが、丹生湖畔で見る桑苗は、私にとって半世紀ぶりぐらい、ということになります。
植え付けられた桑苗・丹生湖畔(2016.3.27撮影)
植え付けられた桑苗が順調に育ち、よい桑の葉がたくさん茂って、その桑の葉を食べたお蚕様が、白く輝く繭をつくり、それが高値で売れ、農家の収入が増えていけばよいと思うのですが、これまで養蚕業・製糸業が置かれてきた状況を考えるとき、かんたんには高値(すくなくても養蚕農家がきちんと生活できる価格であってほしいものです)で売れないだろう・・・と私は思うのです。
いまやカイコは、絹織物などの素材(糸)提供にとどまらず、いろいろな分野での活用方法が検討されているとのことで、カイコの将来展望に明るい部分もあるのかもしれませんが、いまの状況下で、桑苗を植え付けたり、養蚕の担い手を育成するというのは、いかがなものなのだろうかと私は思ってしまいます。
桑園の肥培管理をはじめ、養蚕のための設備や道具類の確保、飼育技術の習得など、お蚕様を相手にすること-養蚕-は、稲作や畜産、畑作、花卉栽培など、農業にはいろいろなものがありますが、とくに困難なものではないかと、父母の姿を見ていて、私はそのように感じています。
放置された桑畑(2013.7.3撮影)
なぜ、わが国の養蚕業は、衰退してしまったのかという原因を把握したうえで、今後(すくなくても20歳代の新規就農者が70歳代になるまでぐらいのスパン)の養蚕業の見込み-育てたカイコそのものの需要と価格、繭(生糸)の需要と価格-をきちんとしたうえで、桑苗を植え付けたり、養蚕の担い手を育成することが大切なことではないかと私は思っているのですが・・・。

養蚕に限らず、新規に就農するときは、設備などの確保に多額の経費を要するとともに、生産物が出荷できるなど、なんとか目鼻がつくまでに長い時間も要するものです。

もし、将来の展望、見込みがないとすれば、私が子どものときに手伝わされた桑の木の抜き取りと焼却作業、それをしなければならない日が将来も起こりうるかもしれません。
あるいは、抜き取りも焼却もされず、桑の木が畑に放置されたままとなって、荒れ果てた姿をさらしているかもしれません。

新聞記事にあった桑苗の植え付けや養蚕の担い手育成などは、片倉工業富岡工場跡が世界遺産になったからという、そんな単純なことで行われているものではないと思っていますが、
 一生懸命に養蚕に取り組んでみたいという新規就農(もちろん新規就農以外の農業者も含めて)の方々が、

 養蚕をやってきてよかった

と、あとで振り返ることができるような手立てを、行政にはよく講じていただきたいと思っているところです。

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