関流算額見題免許(けんだいめんきょ)
群馬県民であれば、誰もが知っている上毛かるた。
その上毛かるたで、「わ」といえば・・・と聞かれ、
「和算の大家 関孝和」
と誰もが答えられるほど、関孝和の名は有名です。
藤岡市にある関孝和の墓(昭和58年に顕彰会が建立) には、いまでも多くの方々がおまいりに訪れます。
この関孝和の影響もあってか、群馬県は和算が盛んな地であったそうです。
群馬県の和算家のおひとり、矢島伊三郎を紹介します。
矢島伊三郎は、「群馬の和算家-そろばんの師匠たち-(大竹茂雄著・上毛新聞社)」によりますと、いまの南牧村小沢で、嘉永3年2月11日(これは旧暦ですので、新暦にすれば1850年3月24日になります)に生まれています。
矢島伊三郎は、明治9年に関流算額見題免許を授けられた方で、たいへんすぐれた能力の持ち主であったとのことで、地元である南牧村をはじめ、いまの富岡市妙義町、一の宮、下仁田町などにお弟子さんがいて、そこへの出張教授も行い、この地での和算の普及に尽力されました。
※詳しいことは、
「群馬の和算家-そろばんの師匠たち-(大竹茂雄著・上毛新聞社)」を
お読みください。
きょうのブログでは、矢島伊三郎の門人であった矢島彦松孝政が高太神社に掲げた算額を紹介しましょう。高太神社は、富岡市妙義町下高田にあります。
算額は、高太神社の神楽殿に掲げられています。
「群馬の和算家-そろばんの師匠たち-(大竹茂雄著・上毛新聞社)」 の28頁の写真によれば、この画像の中央最上段のほか、下の段の左にも算額が掲げてあったとのことですが、下の段の算額は傷みがはげしくなったため、取り外して社務所に保管されているとのことです。
中央最上段に掲げられている算額です。
長い間、雨風にさらされてきたためか、文字がはっきりしていませんが、明治22年に奉納されたことが記されているそうです。
いまは和算といっても、学校で算数や数学は学びますが、和算を学ぶことがありませんので、なんとなく縁遠い世界のように感じますが、和算の本を読んでみますと、とても合理的な解法が多く、わが国の先人の知恵、その奥深さに驚きます。
これから神社などにお出かけになったとき、算額が掲げられていないかどうか、おまいりのあと、社殿まわりを拝見させていただくのも楽しいかと思います。
実は、紹介させていただいた和算家の矢島伊三郎は、私の友人のご先祖様であり、昭和5年2月14日に81歳の天寿を全うされたとのことです。
立派な方が活躍されていたことなどを忘れることなく、これから語り継いでいきたいものだと思っているところです。
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