2020年9月27日日曜日

合同葬に約9,600万円

 国民の感情を逆なでしていないだろうか・・・

いま、Twitterでは、こんな投稿(↓)があります。

私は難しいことはわかりませんが、新型コロナウイルスによって、多くの国民が苦しんでいることを考えるとき、Twitterに投稿している方々のお気持ちには、無理からぬものがあると思います。
雇い止めになった方々がいれば、営業していた飲食店の客足が遠のき、営業継続を断念し、あすからの暮らしをどうしようかと悩んでいる方々は、中曽根元首相の合同葬に、約9,600万円を2020年度一般会計予備費から支出するとの決定について、『これは、あまりにもひどいはなしだ!』と、たいへん憤慨していると思うのです。
上の選挙結果は、ウィキペディア(Wikipedia)から引用させていただきました。
群馬県富岡市に生まれ育った私は、子どものときから衆議院選挙のときは、福田・中曽根・小渕の選挙カーが走るものと思っていました。
ウィキペディア(Wikipedia)では、群馬県第3 (中選挙区)について、つぎのとおり紹介しています。

 群馬県第3区(ぐんまけんだいさんく)は、中選挙区時代の日本の衆議院議員選挙の選挙区である。

 1947年に再び中選挙区制が導入され、1925年当時の区域をほぼ踏襲したうえで、群馬県第1区を分区したため、群馬県は3選挙区となり群馬県第3区は、高崎市、群馬郡、多野郡、北甘楽郡、碓氷郡、吾妻郡が選挙区域、定数は4となった。

 その後市町村合併により1993年の第40回衆議院議員総選挙における選挙区は高崎市、渋川市、藤岡市、富岡市、安中市、群馬郡、北群馬郡、多野郡、甘楽郡、碓氷郡、吾妻郡であった。

 なお、中選挙区時代の選出議員に福田赳夫・福田康夫父子、中曽根康弘、小渕光平・小渕恵三父子、山口鶴男らがいる。

 内閣総理大臣経験者が4人選出された(福田赳夫、中曽根康弘、小渕恵三、福田康夫)選挙区は他にはない。

 また、山口鶴男も日本社会党書記長を務めるなど、野党の重鎮として活躍した。

 小渕恵三が当選した1963年の第30回衆議院議員総選挙以降は、群馬県第3区の議席は結果としては福田、中曽根、小渕、山口の指定席となっていた。

 殊に、福田と中曽根の争いは熾烈を極め上州戦争と呼ばれた。

 中曽根が現職の総理大臣の際に行われた第37回および第38回では共に福田が中曽根を抑えトップ当選を果たした。

若いとき旅行に行くと、「群馬のどこから来たのか?」とよく聞かれたものですが、そのときに「群馬三区です」と答えると、多くの方々が「おっ、そうか!」とわかるほど、福田と中曽根がいる群馬三区は、たいへん有名なものでした。
のちに、福田・中曽根・小渕の3氏が首相になり、日本の発展に尽くしていくわけで、この3氏は群馬県人、とくに群馬三区の人々にとって、たいへん自慢できる人物であり、群馬三区の誇りでもありました。

おそらくお亡くなりになった中曽根氏は、自分の葬儀について、Twitterで
 #中曽根の葬式に税金出すな
といった投稿があることを、とても悲しんでいるのではないかと思います。
大事なことは、合同葬という形式でもなく、国費を支出することでもなく、多くの人々がお亡くなりになった中曽根氏に哀悼の誠をささげることだと思います。

国としては、これまでの先例があって、それに応じて・・・といった判断をしたのでしょうが、いまのこの時期での判断は、あまりにもタイミングが悪いといわざるを得ません。

お亡くなりになった中曽根氏が、いま泉下で「困ったことをしてくれたものだ。こんな合同葬は、おれは望んでいない。もっと国民の気持ちに沿った、国民のだれもが納得することを、国でやってほしいものだ」と、つぶやいているかもしれません。

それにしても中曽根氏の場合、1947年の選挙から連続当選であり、ほんとうにすごい人物であったと思います。

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