2017 ふりかえり
こちらではよく晴れて、静かな元日になりました。
テレビドラマ「陸王」の余韻もあってか、また、すこし酔っぱらっていたこともあってか、ニューイヤー駅伝をテレビで見ていて、
あれ?ダイワ食品が出場していない・・・
茂木君が走っていない・・・
などと思いながら元日を過ごしました。
そして、今年はどのような年になるのだろうか、とそんなことも考えながら過ごした元日でした。
ブログをはじめてからの投稿での閲覧が多かった順に並んでいる統計(↑)になります。
昨年の1年間に投稿したなかでは、
2017.10.6 世界文化遺産 旧富岡製糸場
2017.1.22 上信電鉄 上州富岡駅
2017.12.28 日本ジオパーク
に関連したものが多くの皆さんに見ていただきました。
私は、これまでもブログで述べていますが、貴重な文化財を保護することは、とても大切なことだと思っています。
しかし、世界文化遺産とは、いったいなんのためにあって、だれが維持・保全していくものなのか、この点に関しては、もっともっと考えたほうがよいのではないかとも考えています。
昨年の旧富岡製糸場の入場者は、大きく(と表現してよいかと・・・)減少するなど、登録後の現実と理念のはざまで悩む自治体の姿は、文化財の保護と活用といった面で大きな課題であるといえます。
旧富岡製糸場の入場者数の減少は、入場料金の減少につながり、それは世界文化遺産の維持・保全に関する予算の財源不足につながります。
つまり、旧富岡製糸場の入場料金が減少すれば、 維持・保全する予算の財源が不足し、それを補うために富岡市の一般会計から賄う事態になっていきます。
これから先、人口の減少と高齢化が進む富岡市にとっては、富岡市民一人ひとりに大きな負担がのしかかってくることになる・・・と、そんなことが予想されるのです。
大事な世界文化遺産である旧富岡製糸場を守るのは、富岡市民一人ひとりなのでしょうか・・・?
私は、いまの富岡駅舎をすばらしいものだと思えないのですが、熱心に旧富岡製糸場を世界文化遺産に登録しようという運動をされていたころ、きれいな駅舎にしようということが関係者の間で進められたのでしょう。
〝街の顔〟に対する考えが浅かったということになるのでしょうが、私も読売新聞に投稿された方と同じで、いまのところは富岡市の〝街の顔〟として、この駅舎がふさわしいとは思えません。
いまの富岡駅舎(↓)です。
ただ、これからの時間経過にともなって、この〝街の顔〟が風景のなかになじんでくるということがあるかもしれません。
かのエッフェル塔もつくられたときには、パリには似合わないと、非難ごうごう、喧々諤々の議論があったとか・・・。
しかし、そのエッフェル塔は、いまではパリになくてはならないものになっています。
富岡駅舎とエッフェル塔では、格が違うような気がしないでもありませんが、いつの時代、どの国でも新しいものは、まずは拒絶反応からはじまる、ということになるといってよいでしょう。
これから先、富岡駅舎が〝街の顔〟として、うまく育っていくかどうかは、上信電鉄をうまく活かしたまちづくりの成否にかかっているかもしれません。
2017年の年末に投稿した日本ジオパークの再認定審査に関するものも、多くの皆さんに見ていただきました。
地方の自治体は、人口の減少と高齢化、歳入減など、大きな課題を抱えています。
これまでに実施してきた事業を見直し、ほんとうに住民が必要な事業に絞り込んだとしても、今後の歳入状況などが好転しない限り、厳しい財政運営が続いていくことになります。
ジオパークの活動に関心を寄せている私としては、とてもさびしいことではありますが、こういった状況をふまえるとき、多額の予算、事業費をかけず、それぞれの実情に応じて、多くの住民が参加して、手づくり感いっぱいのジオパークがあってもよいのではないかと思うのです。
いちばん大事なことは、住民の一人ひとりがジオパークの活動を通じて、住んでいる地域のお宝を見直し、それを磨き上げて魅力あるものにし、全国に発信していくことではないでしょうか。
日本ジオパークがスタートしたころと現在の状況を比べてみるとき、自治体をとりまく状況をはじめ、人々の意識も大きく変わってきているように感じます。
2018年は、日本ジオパークの事業に限らず、いろいろな事業などにおいて、現状をよくふまえ、また個々の実情をよく把握したうえで、よりよい方向に進んでいく、これがますます大事なことになってくる、そんな1年になっていくかもしれないと思っています。
2018.1.1の初撮り、その1枚です。
手前にあるのは、下仁田ねぎです。
下仁田ねぎは、寒くなってきて、葉が枯れてきたころ、いちばんおいしくなります。
本年もよろしくお願い申し上げます
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