日本ジオパーク委員会による再認定審査
-速報-ジオパーク下仁田 再 認 定!! おめでとう!! |
それは、日本ジオパーク委員会が昨夕に公表した審査結果(↓)に対するものです。
下仁田ジオパーク
組織体制の改善がなされ、ジオパークと下仁田自然史館(旧下仁田自然学校)との連携体制が確立されるとともに、地域住民が参加するボトムアップ的な運営が行われ始めている。
また、運営計画も策定され、地質遺産の再評価と保全方法の検討も行われた。
ただし、ジオパークを運営する体制のさらなる強化、運営計画の目標の明確化が求められる。
また、跡倉クリッペなど地域の地質遺産の地球科学的意義を広い視野をもってさらに整理し、地域の各種自然・文化遺産を合わせて、わかりやすく面白いストーリーを提供することも急務である。
全体としては課題とされた項目について多くの改善がみられ、ジオパークとして再出発する体制が整ったと判断した。
以上のことから日本ジオパークとして再認定する。
Aさんは、ジオパーク下仁田が再認定になったことは、たいへんうれしいことであるがと述べられたあと、いくつか疑問があるとのことでした。
Aさんの発言は、つぎのとおりになります。
① 組織体制の改善がなされたとあるけれど、どこが改善されたというのだろうか?
部会をつくったというが、まったくといってよいほど活動していないと聞いているが。
② 下仁田自然学校が自然史館になったとあるが、自然史館は町の機関であって、ジオパークの拠点施設になっているもの。
自然学校は下仁田で活動される方々などが参加している団体であり、まったく別個のものではないのか。
③ 「地域住民が参加するボトムアップ的・・・」とは、どういうことなのか。
④ 「全体としては課題とされた項目について多くの改善がみられ、・・・」とあるが、どこが改善されたのだろうか?
⑤ どんどん人口が減っている中で、ジオパークを基本にすえて下仁田町を活性化させる方策について、町役場内の全課や議会
で、しっかり協議検討しているのだろうか。
そして、Aさんは、
ジオパークの活動に期待していたのだが、
どこを審査しているのだろうか、
審査員の認識は、この程度のものなのだろうか、
自然史館や自然学校のこともわかっていないし、
町の現状などをきちんと見ていない審査には、
とてもがっかりしたな。
審査員は事実を誤認しているうえ、しっかり下仁田町のことを理解、認識していないということなのだろうな。
ジオパーク下仁田が再認定になったことは、とてもうれしいと思うけれど、ますます人口が減っていくなかで、町としてもジオパークを運営していく予算確保が難しくなっていくだろうし、ましてや、尾池委員長が中国のジオパーク-万峰林-と交流を、と総評で提案されたそうで、こういった活動の予算が今後は増えることも考えると、
一町民としては、
ジオパークが再認定になったことを
素直に喜べないんだよね。
とおっしゃいました。
私はAさんの思いというのは、多くの町民の方の思いでもあるのではないかと感じました。
といいますのは、ジオパークの活動が多くの町民の理解を得ているかといえば、それは疑問だからです。
こんな時代にジオパークだなんて、むだな事業に予算をまわさないでほしい、と思っている町民の方々が多いのではないかと、下仁田に出向くたびに私はそのように感じています。
私の感想ですが、ジオパーク下仁田の再認定は、今後の4年間で、
どのような活動、事業が展開できるか、
それが多くの町民から理解を得られて、
下仁田町のためになるジオパークになることができるか、
という大きな課題を与えられたということかも・・・。
【参考-これまでのブログ(↓)ほか】
えっ、知らなかったの?! ビックリ!! 唖然!!! 2016 いちばん驚いたこと |
条件付き再認定-ジオパーク下仁田 こんな感想を寄せていただきました |
イエローカード(条件付き再認定)-ジオパーク下仁田 「イエローカード(条件付き再認定)が 出されたら、やめちゃえばよい」 |
プレスリリース資料のうち、下仁田に関する部分を以下のとおり抜粋してみました。
日本ジオパークの再認定審査結果 (2015 年 12 月 14 日 日本ジオパーク委員会 )
条件付再認定:下仁田
最近では地域住民によって自発的に日本ジオパーク下仁田応援団が組織されるなど、認定後の活動により当初よりジオパーク活動が拡がってきている。
しかしながら、ジオパークの中心となる運営体制が確立されていない。
地域住民、 地元業者、研究団体、市民ガイド団体、行政組織等様々な関係者間の情報共有と意思決定の場 を形成する必要がある。
ジオサイトの科学的な価値の再評価を行い、ジオパークとしての活動 の質の向上を目指していただきたい。
したがって条件付きで日本ジオパークとして再認定とする。 ※ 文字の拡大と着色、改行は、本多が行いました。
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