上野國一之宮 貫前(ぬきさき)神社 御遷宮祭
2016.12.12(月)~13(火)にかけて、御仮殿遷座祭などが執り行われました。
以前、私のブログで紹介した宮崎区の皆さんによるはしご乗りをはじめ、一の宮区・神成区の方々による火消し装束による行列など、どれもこれもたいへんすばらしいものでした。
この日、私が興味をもったのは、神成区の行列に加わっている
雲助さん
でした。
雲助さんが神成区から宮崎区に向かう坂道を上っているところです。
先頭の男性の頭にのっているのは、大きな焼きもちだそうです。
私がカメラを持って行列を待っていますと、 何人もの方に
雲助さんは、いつ通るの?
と聞かれました。
宮崎区の本陣前で、練り歩く雲助さんです。
雲助さんは、お殿様をはじめ、侍衆、火消衆といった面々のなかで、異色中の異色といえる存在ではないかと思うのです。
まだ調べていませんので、この雲助さんが行列に加わった経緯、歴史について、私はまったくわかりませんが、この御遷宮と地元の人々の関わりを考えるうえで、大切なヒントを与えてくれるのではないかと、そんな気がしています。
貫前神社に向かう雲助さんです。
私の想像-推理-ですが、この雲助さんが行列に加わっているのは、江戸時代、実際に荷物の運搬を神成区の人々が当時の運送を担う人々に依頼したからではないかと思うのです。
神成区では、自分たちで荷物を運ぶことも可能であったと思うのですが、経済力があったがために、荷物を運んでいただくことを外注することができたと考えてよいかもしれません。
その運送の人々が、ある年の御遷宮で、おどけて荷物を運んだところ、それが地元の人々や御遷宮でやって来られた方々にうけて、
おもしろい!!またやってもらえないだろうか?
となって、それが慣例化していったという経緯も考えられるかもしれません。
それと、もう一つ、神成区の人々はもちろんですが、おどけて御遷宮を祝う雲助さんが登場して以来、コメなどの農作物の収穫が順調に推移したとか、なんらかの〝ご利益〟が地元の人々にもたらされ、
つぎの御遷宮でも雲助さんたちに活躍してもらおうではないか
となったことも十分に考えられるでしょう。
それが、時代の変遷にともなって、地元の人々が雲助さんに扮して、いまに残っているということではないかと私は考えたのですが・・・。
雲助さんの頭の上の焼きもちは、これを食べるとご利益があるとのことで、夕方の行列終了後、御遷宮にやって来られた皆さんにふるまわれるのだそうです。
どなたかご存知の方には、
この経緯、歴史等を教えていただければ幸いです。
5 件のコメント:
神成で行列に参加した者です。私も初めて知ったのですが、神成に住んでいた雲助さんが火事になった貫前神社の御神体を担ぎ出した英雄みたいです。しかしなんであの様ないで立ちなのか...それはたまたま神社付近で女遊びにふけって酔っ払っていた最中の出来事、全裸であったため女性物の着物をとっさに身につけて御神体を持ち出して火事から守ったそうです(詳細はよくわかりません)。雲助さんという英雄が神成の人で、また神成の火消隊が一番乗りで貫前神社に到着したために神成が先頭となっています。
Miyamotoさん、たいへんありがとうございました。
そういった歴史があったとは!!!
Miyamotoさんのコメントをフェイスブックやツイッターなどで紹介してよいでしょうか。
これからもよろしくお願いします。
拙い文で申し訳ないですが大丈夫です。
今回初めて行事に参加してみて、地域の
今まで知らなかった歴史もわかるので面白いです。
ほとんどが伝聞によるものなんですけどね。
おそらく今では伝わっていない内容もたくさんあると
思います。
Miyamotoさんから教えていただいたので、貫前神社の社誌で調べてみたところ、いくつか興味深い記述が見つかりました。
これから「雲助さんはヒーローだった!」と題して、Miyamotoさんのコメントとともに、ブログ他で紹介させていただきます。
これからもよろしくお願いします。
ありがとうございます。
記事を楽しみにさせていただきます。
こちらこそ宜しくお願い致します!
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