あ ら ふ ね 号
このブログの2013.6.6付け「珍しい看板」で、かつて「荒船号」という国鉄の電車が上信電鉄で走っていたことを紹介しました。
この写真は、「上信電鉄百年史(以下「百年史」といいます)」に掲載されているもので、これが「あらふね号」になります。
「荒船号」ではなくて、「あらふね号」でした。
お詫びして、訂正させていただきます。
百年史の年表には、つぎのとおり記載されています。
昭和35年(1960) 7. 「あらふね号」電車直通運転許可申請
〃 10. 〃 直通運転許可
〃 36年(1961) 4.23 〃 直通運転開始
〃 44年(1969) 9. 〃 直通運転終了・115型4両
「あらふね号」の運行時刻表(昭和37年7月)が、百年史に掲載されています。
(下 り)
上野駅 01:00
大宮駅 01:44
熊谷駅 02:25
高崎駅 03:20
下仁田駅 04:13
(上 り)
下仁田駅 17:13
高崎駅 18:44
熊谷駅 19:32
大宮駅 20:17
上野駅 20:54
上野駅を午前1時に出発し、下仁田駅に4:13分に到着。このあと、臨時便のバスなどによって、荒船山や神津牧場方面に向かいました。
百年史には、昭和36(1961)年に「あらふね号」の直通運転を開始したときは、6月25日までの2か月間の休日に1往復との予定であったが、乗客が多いために11月5日まで延長されたと記載されています。
夕方には下仁田駅から「あらふね号」に乗車して、東京方面に帰るという日帰りのハイキングは、当時の若者たち(だけとは限らないでしょうけれど)に、とても人気があったことが想像されます。
むかしのことを紹介しましたので、現在の上信電鉄のレール、背景の山々を撮った写真(上小林地内で撮影)をモノクロにしてみました。
山の紹介をいたしますと、正面の手前が破風前場(地元では、「はめえば」と発音しています)の岩山で、その右に小さな突起のように見えるのが、鍬柄岳(くわがらだけ。地元では、「石尊山(せきそんさん)という呼び名が使われることが多いようです)です。
さらに、その右側のなだらかな曲線の山が大桁山(おおげたやま)です。
この写真には写っていませんが、写真の右側には、美しい姿の神成山(かんなりやま)があります。
かつて、「あらふね号」で来られた方々もこうした風景を眺めたり、荒船山や神津牧場、妙義山方面で楽しいハイキングをされていたことでしょう。
これからの時代のこと-エネルギーや環境のことなど-を考えるとき、電車での移動はとてもよいことではないかと思います。
上野駅のホームから、
下仁田行き「ジオパーク号」が出発して、
たくさんの方々にお出かけいただける、
そんな時代になってほしいものだと思っています。
ところで、最初の画像(百年史から引用した画像)に「扛上」ということばがあります。
これは、「こうじょう」と読み、ホームなどをかさ上げすることを意味しています。
一般的にはつかわれていない用語ですので、わかりづらいことばといえるかもしれませんね。
2 件のコメント:
あらふね号ご存知の方がいらっしゃるとは思いませんでした。幼少の頃、祖父と富岡駅に良く見に行きました。調べてもなかなか出て来ないんですよ。
コメントありがとうございます。
それほど過去のことではないのですが、関連する資料などがなくなっていってしまっているようですね。
とても残念なことだと思うのですが・・・
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