2014年4月4日金曜日

ねぎとこんにゃく下仁田名産

          下仁田ねぎ
ねぎ坊主が大きくなってきました

下仁田ねぎの種です。
撮影:2014.4.3
あと2か月もしますと、黒い種ができてきます。
撮影:2013.6.10
この種を取って、よく乾かして保存しておき、秋の彼岸過ぎに種を蒔きます。

いま、今年の冬に収穫する下仁田ねぎは、下の写真のとおり、ねぎ苗という段階です。
撮影:2014.3.25
この苗を畑に植え付けて、真夏に植え替えます。
肥料を施したり・・・草取りをしたり・・・いろいろ手をかけて、おいしい下仁田ねぎになります。
撮影:2013.12.9
春になって、桜が咲き始めているとき、寒い冬のことを述べることは、場違いであることを百も承知のうえで、申し上げるのですが、下仁田ねぎの栽培期間の長さを知っていただいて、おいしい鍋料理を食べていただきたい、との一心からのこと、どうぞお許しを・・・
といった前置きをさせていただきましたが、

 下仁田ねぎは、播種から収穫までが15か月もかかります。
 採種から収穫までということになりますと、
  その期間は18か月にもなる作物なのです。   

もうすこししますと、下仁田ねぎの植え付けが始まります。
撮影:2012.5.8
ねぎとこんにゃく下仁田名産は、上毛かるたのひとつ、ねの読み札ですが、この取り札の図柄をめぐって、いろいろなことが言われていますが、私が調べたところでは、
  想像で下仁田ねぎを描いたという〝衝撃的な事実〟
がわかりました。

以下の文章は、くりっぺ(下仁田自然学校だより)第67号に掲載していただいたものです。

下仁田ねぎといえば、太くて短いかたちが特徴ですが、上毛かるたの絵では、長ねぎのようなかたちをしています。
 わたしは、『こういうかたちの下仁田ねぎもあったのかな・・』という疑問を以前から感じていたのですが、「上毛かるたのこころ 浦野匡彦の半生(西片恭子著・中央公論事業出版)」を読ませていただき、『そういうことだったのか!』と疑問が解けました。
西片さんの著書に、「初版の絵は、当時の情況では、各地を訪ね歩くも儘ならず写真などに頼った所もあり(86)」「例えば下仁田葱などは庶民は見ることも口にすることもない〝殿様ねぎ〟といわれて高級料亭にのみ行く品であっただけに、昭和43年描き直された現在の絵も同じく深谷ねぎの形といわれるが、これは当時の庶民生活を語る良い例になったといえる。私も下仁田葱をこの目と口で確かめたのは昭和50年代に入ってからと記憶し、日本に飽食の時代が到来した頃であったと思う(87)と書いてあったのです。
なんと上毛かるたがつくられた昭和22(1947)年ころ、下仁田ねぎは、庶民が見ることも口にすることもできない〝殿様ねぎ〟であり、高級料亭に行くだけであったのです。下仁田ねぎは、昔から有名でしたが、庶民にとっては、まさに高嶺の花といったところで、食べることはもちろん、八百屋の店先で見かけることもない〝まぼろしの下仁田ねぎ〟でした。上毛かるたがつくられた当時、多くの人々が下仁田ねぎの姿かたちを知っていれば、この絵を見て「間違っていますよ」という指摘が寄せられ、すぐに正しい姿かたちの絵に変更されたことでしょう。
わたしは上毛かるたの下仁田ねぎの絵が、想像で描かれ、下仁田ねぎの姿かたちが知られていなかったことを物語る貴重な資料であったということを知り、下仁田ねぎのすばらしさを再認識したのですが、皆さんはどのように感じられたでしょうか。
かつては、高級なものであり、見ることも食べることもできない時代があったということ、そして、上毛かるたに描かれた絵の〝秘話〟を紹介させていただきました。
もうすこしすれば、下仁田ねぎがおいしい冬になります。この冬も、暖かい鍋料理などで、おいしい下仁田ねぎをたくさん召し上がってください。
もちろん、おいしい下仁田こんにゃくも御一緒にどうぞ。    

今年の冬もおいしい下仁田ねぎができることでしょう。
すこし早い(どころか、とても早い?)かもしれませんが、おいしい下仁田ねぎを今年も楽しみにお待ちください。

       おいしい下仁田ねぎができるまで、
  長い時間がかかるということを知っていただきたくて、
    今の時期の
  ねぎ坊主を紹介させていただいたものです。

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