「約束の時間に遅れて来る人には、
ご主題(御朱印)は書けません」
つぎの投書を読ませていただき、この住職の対応は、あまりにも杓子定規といいますか、温かみのないものではないかと思いました。
ビジネスの現場においては、約束の時刻(期限)を守ることは、基本中の基本、いろはのいといったところであり、特段の合理的な理由がない限り、約束の時刻(期限)が守れなかったときは、契約が破棄されるといったこともあり得ることです。しかし、約束の刻限に15分遅れたことによって、住職のこの対応があり得るのかどうか、私には投書内容以外の事情はわかりませんが、それでもこの住職の対応は大いに疑問です。
足がご不自由な85歳の老人が杖をつきながら歩いて寺に向かうとすれば、かなりご苦労される上り坂だと思います。
このお寺さんには、とてもすばらしいご住職と、そのご家族がお寺さんにいて、子ども心にも心安らぐ場所でした。(いまも私には、心安らぐ場所です)
お寺さんというのは、お寺さんにいるだけで、心が安らぎ、仏様のありがたさ、慈しみを肌で感じる、そんな場所であって、
「まるで鬼でした。」
という住職がいるところでないはずです。
ここまで歩いて来るのは、さぞたいへんなことであったでしょう。
さ、さ、こちらへどうぞ。
と招き入れて、湯茶のいっぱいも勧める、そんな住職であってほしいと思います。
きっと、投書にあった住職は、檀家さんに対しても同じことを言っているかもしれません。
私たちが暮らしていくうえで、時間や時刻にルーズであってよいとは思いませんし、時間や時刻はしっかり守るべきだと思います。
でも、それも時と場合によってであって、いつでも厳しくしていればよいということではないと思うのですが・・・
上毛新聞の投書を読まれて、皆さんはどのようにお考えになりますか。
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