つり橋であった和合橋
昨年の暮れ、蔵書をはじめ写真、ネガなどを整理したのですが、そのとき昭和40年代に撮ったモノクロのネガが出てきました。
田島側から撮影 |
和合橋 県道で最後のつり橋
昭和47年5月30日
と書いてありました。
高瀬側から撮影 |
なにしろ若かったですし、まだ道路の歴史などに興味がありませんでしたから。
鏑川下流側から撮影 |
橋脚の近くにあるのが、つり橋の和合橋です。
手前の上にあるのは、帝石のガス管です。
不鮮明な写真で見づらいと思いますが、川原には蔟(まぶし)が干してあります。
このころには養蚕が盛んで、農家の方々は蚕具を川で洗い、 川原いっぱいに蚕具を干していたものでした。
鏑川下流側から撮影 |
鏑川下流側から撮影 |
私も何度か通りましたが、なかなかスリリングなものであったと記憶しています。
なにげなく撮った写真ですが、いまとなっては貴重(と本人は思っているのですが・・・)なものかもしれないと思っているところです。
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