2020年10月10日土曜日

荒船風穴:「ぐんま一番(群馬テレビ)」

朝鮮半島とも蚕種の取り引きをしていた?

2020.10.9放送「ぐんま一番(群馬テレビ)」から

上の画像は、2020.10.9(金)の夜、「ぐんま一番(群馬テレビ)」で放送された場面のひとつです。

荒船風穴では、

 日本全国さらに朝鮮半島とも蚕種の取引をしていた

というものですが、これは事実を正しく表現していない、と私は思うのです。

私が知る限りでは、荒船風穴を経営していた春秋館に残されていた記録のうち、朝鮮の記載があるのは上の画像のものだけです。
これをもって、朝鮮半島とも蚕種の取り引きがあったというのは、いかがなものだろうかと私は思うのです。
この記録からは、朝鮮江原道の北村近太郎という人物が北村寅吉という人物に対して、荒船風穴から蚕種を送ったということがわかるだけのことです。
2020.10.9放送「ぐんま一番(群馬テレビ)」から
もうひとつ、この放送で気になったのが、
  風穴の冷風を使い蚕種を貯蔵することで、年1回だった養蚕が複数回行えるようになった
という部分です。
この文章の頭の部分に、荒船風穴がを入れて、全体の文章をつくったとすれば、
  荒船風穴が風穴の冷風を使い蚕種を貯蔵することで、年1回だった養蚕が複数回行えるようになった
となり、荒船風穴が年に複数回の養蚕を可能にしたと理解できないこともありません。
荒船風穴での蚕種の冷蔵保存がはじまる前から、すでに年に複数回の養蚕は行われていましたし、荒船風穴が年に複数回の養蚕を行えるようにしたわけではないのですが、
  風穴の冷風を使い蚕種を貯蔵することで、年1回だった養蚕が複数回行えるようになった
は、荒船風穴の価値を強調したいという気持ちからかもしれませんが、私には視聴者が誤解する表現になっているように思えてしかたありません。
2020.10.9放送「ぐんま一番(群馬テレビ)」から
多くの群馬県民が視聴している番組だけに、
誤解を招くような表現ではなく、
世界文化遺産のひとつとして、
日本ジオパークのジオサイトとして、
正確な情報を伝えてほしいと思いますし、
取材に応じる自治体では、
しっかりした取材対応をしてほしいと思います。

  【参考までに】
つぎの画像は、荒船風穴が世界文化遺産に登録される前の状態です。
明治38(1905)年から工事がはじまり、3棟の蚕種貯蔵所がつくられ、蚕種の冷蔵保存を行う荒船風穴の事業が進められていきます。 
記録によれば、大正9(1920)年の蚕種貯蔵量の60余万枚を最高に、その後は蚕種貯蔵量が減少し、昭和14(1939)年には貯蔵量がゼロ枚になってしまいます。
大正のおわりから昭和のはじめになると、温湿度が不安定で交通不便な荒船風穴は、利用が減ってしまったからです。
昭和10(1935)年ころからは、風穴や氷庫でなく、機械冷蔵庫に保存する時代になり、風穴による蚕種貯蔵の時代は終わっていきました。

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