霧の遁兵衛・霧隠才蔵
いま、上映中の「忍びの国」が、とても人気があるらしい。
あるらしいと書いたのは、いまは私に忍者にあまり興味がないから、というところに原因がある。
しかし、私が子どものころ、忍者は私だけでなく、子どもたちのヒーローそのものであり、多くの子どもたちは
ひそかに忍者になりたい
と思っていたものであった。
なかには、忍者になるための特訓をはじめる子どももいたし、手裏剣などを手づくりする子どももいた。
実をいえば、私も忍者になるための特訓を開始し、納屋にある鉄板などをやすりで削ったりして、手裏剣をつくったものであった。
そして、そのころのヒーローといえば、隠密剣士に登場する霧の遁兵衛であった。
霧の遁兵衛を演じた牧冬吉が、とにかくかっこよかったのである。
※ 画像は、インターネットの画像検索からお借りしたものです。
軽々と木の枝に飛び上がり、ときには屋根の上から飛び降りて、縦横無尽、自在に動き回る忍者は、まさに無敵のヒーローといってよい存在だったのである。
そこで私は、雑誌に掲載されていた忍者になるための手引きを熟読し、まずは忍者に必要なジャンプ力を身につけようと考えた。そして、わが家の畑にあるモロコシに着目して、この成長に合わせて、ジャンプ力を高めていこうという計画を立てた。
この画像は、2017.5.17現在のモロコシである。
当然のことであるが、芽が出てきてからしばらくは、まったく問題なくモロコシを飛び越えることができた。
ところが、大きくなりはじめるとどんどん伸びて、あっという間に私の背丈以上になってしまった。
2017.7.14 現在 |
つまり、モロコシの成長スピードに私のジャンプ力養成スピードがついていけず、このジャンプ力を高める計画をあきらめることにした。
つぎに取り組んだのが、手裏剣をつくることであった。
納屋にある鉄板や道具を駆使して、さまざまなかたちの手裏剣をつくっては、それを蔵のわきにつくった的に向けて、投げるという特訓をはじめた。
ところが、うまく的にあたらず、蔵の壁にあたることが多く、蔵の壁を傷つける結果となり、これが露見して、父にきつく叱られ、挙句の果てには、蔵のなかに放り込まれるという事態になってしまった。
暗い蔵の中で、じっと目を閉じて、どうやってここから脱出すべきか思案するのだが、忍者の初心者に蔵を抜け出す妙案がうかぶはずはなく、結局は母が蔵の戸をギーっと開けて、私を救出してくれるのを待たざるを得なかった。
的の場所がよくなかったことを反省した私は、庭先にあった大きな栗の幹に的を結わえ付けて、その的に向かって手裏剣を投げることにしたのだが、栗の幹の後ろの土手に突き刺さり、手裏剣が泥だらけになるため、投げるたびにいちいち洗わなければならないことに気づき、これも失敗に終わってしまった。
そうこうするうちに、わが家で畳替えをしたため、古畳を後ろの土手に置いて、栗の幹に的を結わ付けて、手裏剣投げの特訓を再開した。
これは、とてもうまくいき、私の手裏剣投げも少しずつ精度が高まり、かなり遠くからでも的にあたるようになった。
こうなるとおもしろいもので、いろいろな道具を自作していった。
水蜘蛛という忍者が水の上を歩くときにつかう道具をつくり、それを持って裏の川で実験したこともあった。
私はまったく水の上を歩くことができず、この実験は大失敗に終わったが、これも懐かしい思い出である。
そんな忍者熱もいつしか冷めて、勉学の道を歩みはじめたころ、たいへん衝撃的な映画を知ることになる。
それは、市川雷蔵主演の忍びの者シリーズである。
牧冬吉が演じた霧の遁兵衛もかっこよかったが、市川雷蔵が演じる霧隠才蔵のかっこいい姿に、忍者になろうとした幼かったころのことを思い出した。
しかし、このころになると現実の社会を見つめることができるようになっていたためか、もはや忍者になろうという気持ちになることはなかった。
忍者映画のなかで、いちばん好きなのはと問われれば、忍びの者シリーズ、それも霧隠才蔵を描いたものと私は答えるだろう。
いつの時代も忍者は、子どもたちのヒーローなのである。
いまもどこかに忍者になろうとして、モロコシを飛び越えたり、手づくりの手裏剣を投げている子どもがいるかもしれない。
私は忍者になる夢をあきらめたが、いま「忍びの国」を見て、忍者になりたいと思った子どもがいるとすれば、その夢をあきらめないでほしいと思う。
「忍びの国」なんて映画が公開されると、また忍者になりたいと思ってしまうではないか!!と考えている年寄りがいるほど忍者は、たいへん魅力ある存在といえるからである。
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